大判例

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名古屋地方裁判所 昭和32年(行)4号 判決

判  決

静岡県富士宮市大宮千四百三番地

原告

富士山本宮浅間神社

右代表役員

佐藤東

右訴訟代理人弁護士

村瀬直養

長田義衛

名古屋市中区南外堀町六丁目一番地

被告

東海財務局長

中尾博之

右指定代理人

岡本元夫

井上俊雄

林倫正

多田英次

長谷川洸一

右当事者間の昭和三二年(行)第四号国有境内地譲与申請不許可処分取消請求事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

被告の昭和二十七年十二月八日附東海財管一第一六二七号による行政処分中、富士山頂八合目以上の百十七万五千八百三十三坪二合七勺の土地(別紙物件目録第一記載の土地〔別添図面中黄色、青色にて彩られた区域〕と、同目録第二記載の土地〔別添図面中赤色にて彩られた区域〕より同目録第三並びに第四記載の土地を除いたもの)を原告に譲与しない、との部分を、取消す。

原告のその余の請求は、これを棄却する。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

(双方の求めた裁判)

原告訴訟代理人は、「被告の昭和二十七年十二月八日附東海財管一第一六二七号による行政処分中、富士山頂八合目以上の百十七万六千七十六坪九合五勺の土地(別紙物件目録第一記載の土地〔別添図面中黄色、青色にて彩られた区域〕と同目録第二記載の土地〔別添図面中赤色にて彩られた区域〕より同目録第三記載の土地を除いたもの)を原告に譲与しない、との部分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求めた。

被告指定代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

(原告の主張)

原告訴訟代理人は、請求原因並びに被告の主張する反論として、次のとおり、陳述した。

第一、請求原因

一、原告神社の地位並びにその宗教目的(いわゆる神体山信仰について)

(一) 原告神社は、「木花佐久夜毘売命」を主神として奉斎し公衆礼拝の施設を備え、神社神道に従つて祭祀を行い、祭神の神徳をひろめ、同神社を崇敬する者及び神社神道を信奉する者を教化、育成し、社会の福祉に寄与し、その他同神社の宗教目的を達成するため、財産管理その他の業務を行うことを目的とする宗教法人である。

原告は、古くは延喜式にも「浅間神社」としてその名が見え、明治四年五月十四日国幣中社に、明治二十九年七月十四日官幣大社にそれぞれ列せられたが、昭和二十一年勅令第七十号が制定公布せられるに及び、同令附則第二項により、宗教法人令(昭和二十年勅令第七百十九号)による宗教法人と看做され、昭和二十一年五月十一日その登記を経由した。そして、昭和二十六年法律第百二十六号宗教法人法の施行を見るに至り、同法附則第五項によつて昭和二十九年三月二十九日所轄庁の認証を受け、同年四月七日同法による設立の登記を行つた。

(二) 富士山は古来その雄大壮厳なる容姿と諸々の神秘性等により人々に畏敬の念を懐かせ信仰の対象となつてきたが、垂仁天皇の時代に山霊を「浅間大神」即ち「木花佐久夜毘売命」として奉斎したのが原告神社の起源とされている。かくして浅間大神は富士山を象徴とし、就中八合目以上を永劫の鎮座地即ち幽宮とし、登拝可能な夏期に限り、開山祭閉山祭が営まれ、その間信者は神聖なる山の霊気に触れ得るが、四時は登拝し難いので、富士山の雪解の水の湧き出る山麓の地に里宮の祭場を建設し、両者相俟つて初めて富士信仰が全うせられてきている。浅間大神は富士の霊峰を象徴としてここに坐し、原告神社は古来いわゆる神体山信仰に立脚する神社として、全国各地に散在する浅間神社の根源をなすもの(これを根本本宮という)と見られ、浅間神社中最古のものである。そのため、原告神社の社殿(富士宮市大宮所在)は、浅間造りと呼ばれる特殊様式の本殿を形成し、その背面に扉がつけられ、御神体たる富士霊峰を望拝するように施設され、富士山と神社設備とは一体として存在している。かくの如く原告告社の御神体はあくまでも富士霊峰そのもの、特に八合目以上とされている。このような性格の山をひろく神体山といい、原告神社の外にも全国各地にその例は多い。二荒山神社(男体山)、白山比咩神社(白山)、大物忌神社(鳥海山)等はその顕著なものである。

御神体を富士山八合目以上に限つたのは、浅間大神の幽宮の要をなすと信ぜられる旧噴火口の根底が八合目の水準に達していると信ぜられていると信ぜられていることと、八合目以上の地域がそれ以下の地域ときわだつて相異を呈し、大神常住の宮居といわれるにふさわしいことに根ざしている。

二、本件係争にかかる富士山八合目以上の土地(奥宮境内地)の管理、支配に関する沿革(同土地の明治初年における上地並びにその後の境内地への編入について)

(一) 従つて、古来原告神社の富士宮市大宮所在の社殿等の敷地のみならず、富士山八合目以上の土地即ち別紙物件目録第一記載の土地(別添図面中黄色、青色にて彩られた区域。以下単に目録第一の土地という)と同目録第二記載の土地(別添図面中赤色にて彩られた区域。以下単に目録第二の土地という)もまた原告神社が宗教活動上必要にして不可欠な土地として所有し、支配し来つたもので、(この地域を奥宮境内という)江戸時代既にこの旨が明らかに確認せられていた。即ち、安永八年十二月五日寺社奉行より原告神社にあつて、「今般衆議之上定趣者富士山八合目より者上大宮持たるへし」という裁許が下されていること等これである。ここに「大宮」とは原告神社を指し、「持」とは現行制上の所有権を表わす江戸時代の用語例であり、この裁許は明らかに原告神社の所有権を確認したものと認められる。

(二) しかるに、明治維新政府の樹立に伴い、各藩主の領有地は版籍奉還の結果国有に帰したが、社寺領は旧来のまゝであつたので、政府は明治四年正月五日太政官布告を発し、「社寺領現在の境内を除く外一般上知」せしむることとなつた。しかしどの範囲までを「現在ノ境内」と認むべきか種々問題があり、その実施も仲々進捗しなかつたので、右に引続き行われた地租改正事業の一環としてこれが進捗をはかることとなつた。即ち政府は、地租改正事業として官民有地の区分査定を行うに当り、明治八年六月二十九日地租改正事務局達乙第四号「社寺境内外区画取調規則」を制定し、その第一条で「社寺境内の儀は祭典法用に必需の場所を区画し更に新境内と定め、其余悉く上知の積取調へき事」となし、次いで明治八年七月八日地租改正事務局議定「地所処分仮規則」第七章第一節第一条で、「社寺境内外は本年本局乙第四号達に準拠検査し官民の区分を確定すべし」と定めた。これら一連の法令が制定されるに伴い富士山八合目以上の土地は明治十年頃原告神社の境内外として国有に上地の結果となり、爾来農商務省の主管する国有林野であつたところ、そのうち目録第二の土地に限り明治二十二年十月御料林野に編入された。

(三) しかし、右地域が、原告神社にとり、境内として宗教活動上必要欠くべからざるものであることは、国有に帰した後といえども少しも変ることががないので、原告神社としてその国有化の是非は別として、少くとも当該地域を境内として使用できるようにして貰うことが必要であつた。それにもかゝわらず、政府は官民有地の区分査定に当り、境内外と認められた区域を再び社寺の境内に引戻すことは原則としてこれを避ける方針をとり、明治二十四年十一月二十七日には、内務省訓令第千十六号をもつて「社寺の境内地は官民有地に不拘従来査定の区域は輙く変更せざる儀と心得べし」と定めるに至り、そのため原告神社はやむなくそのまゝの状態に服さざるを得なかつた。

(四) しかしながら、境内外区域の変更を何時迄も全面的に否定することは、不合理極りないので、明治三十二年法律第八十五号国有林野法が制定され、その第三条第三項に「社寺上地にして其境内に必要なる風致林野は区域を画して社寺境内に編入することを得」と定められ(同法は同年七月一日から施行)、ここに社寺上地の国有林野に限り社寺の境内に編入し得る途が開かれるに至つた。もつとも右は国有林野に限られ、御料林野には直接適用がなかつたが、明治三十三年十二月御料林野についても国有林野に準じて取扱うこととなり、明治三十六年内務省訓令第五百四十七号「御料地中境内地として必要のもの引渡の件」が制定された。ここに「其の境内に必要なる風致林野」とは、「祭典、法要又は参詣道に必要なる箇所」や「歴史若くは古紀社伝等に於て社寺と密接の縁故ある個所」を含むものと解されていた(明治三十九年二月十七日農商務省内務省訓令林発第三号参照)。

ところで、富士山八合目以上の土地については、これより先き明治三十一年四月二日、原告神社より静岡県知事を通じて主務大臣あて、当該地域を原告神社の奥宮境内に決定せられるよう出願していたが、右の国有林野法施行の際は未だその決定が行われておらず係属中のかたちであつたので、静岡県知事は右法令に基き、明治三十二年七月二十八日原告神社に対し、農商務省の主管する富士山八合目以上の土地(即ち、目録第一の土地)を「浅間神社奥宮境内に確定の件聞届く」と指令し、右区域は原告神社の境内と認められた。次いで右の指令において除外された御料林野の区域(即ち、目録第二の土地)についても、昭和三年五月二十九日原告神社より境内編入の出願がなされ、昭和七年九月二十九日境内と認められた。ここに原告神社の数十年に亘る念願は実現され、富士山八合目以上の土地は、爾来国有財産法(大正十年法律第四十三号)第二条第二号の「国に於て神社の用……(略)……に供するものと決定したる……(略)……」国有地(即ち公用財産)となつた。この間、富士山が一般国民の愛敬する山として、参拝登山者益々多きを数え、原告神社の宗教活動並びに境内地管理方法はこれと相調和し、何等矛盾支障がないのみならず、富士山名声を維持するためにも多大の貢献があつた。

三、昭和二十二年法律第五十三号の制定と富士山八合目以上の土地が同法第一条に定める「譲与」の要件を充足していることについて

(一) しかるところ昭和二十二年新憲法が施行され政教分離の制が確立されるに及び(憲法第二十条、第八十九条)、従前のように国有地を社寺の用に供することは許されなくなり、政府はその際の措置として、昭和二十二年法律第五十三号(以下単に法律または、法律第五十三号という)並びに同年勅令第百九十号(以下単に勅令または、勅令第百九十号という)を制定公布した。右法律第一条第一項によると、(1) かつて社寺の土地で社寺上地、地租改正又は寄附によつて国有となつたが、(2) この法律施行の際(昭和二十二年五月二日)国有財産法(大正十年法律第七十二号)によつてその社寺に無償で貸付けられており、(3) その社寺の宗教活動を行うのに必要な土地は、この法律の施行された昭和二十二年五月二日より一年以内に申請があれば、これを旧所有者たる社寺に譲与することになつている。けだし江戸時代及び旧憲法時代を通じ、その形式上の所有者の何人なるかは別として、社寺が一貫して宗教活動の用に供してきたものである以上(旧憲法時代のいわゆる社寺境内地返還問題の経過については後述するが、とまれ、社寺が当該境内地を、その宗教活動の用に供し得、且つ供してきたことは、明治初年の社寺上地、地租改正処分以前と後とで、何等変るところはない)この土地を社寺の用に供するため返還するのでなければ、社寺の宗教活動を全うさせることができず、かえつて宗教を圧迫する結果ともなるので、かような措置をとることにより憲法の要請を実現せんとしたものである。

なお、法律第一条第一項では、右の要件を具備した境内地の譲与申請に対し、行政庁は「これを社寺に譲与することができる」と規定しているが、右規定は、譲与するか否かの裁量の余地を行政庁に与えたものではなく、叙上の要件を具備する限り、行政庁は譲与しなければならないことを定めたものと解すべきである。

(二) ところが元来右法律、勅令の制定は、いわゆる社寺境内地返還の深い沿革に根ざすものである。即ち、既に一部詳述したように、明治初年の社寺上地、地租改正処分により、もともと社寺等の所有に属していた境内地を強制的且つ無償で国有に編入したことに端を発し、爾来境内地還付または境内編入の要望が絶えず、明治三十二年には、前記の国有林野法と国有土地森林原野下戻法の制定を見るに至つたのであるが、これをもつては未だ右の要望を満すに足らなかつたので、政府は大正十年旧国有財産法を制定するに際し、境内地を形式上寺院に返還はしないが、その代りに当該境内地の永久、無償の使用権を設定することとして(同法第二十四条)、実質的には還付(返還)したのと同じ効果を与え、もつて一時的な解決となし、次いで、昭和十四年宗教団体法の施行にともない同年法律第七十八号並びにこれに基く同年勅令第八百九十二号を制定して、寺院に対する境内地の譲与を認めることとし、その手続を具体化したが、これも、今次世界大戦の激化により事実上中止されて処分未了のまゝ終戦を迎え、政教分離を宣言する新憲法の発布により、最終的な解決を迫られ、右法律第七十八号並びに勅令第八百九十二号を改正する形式において法律第五十三号並びに勅令第百九十号を制定、公布することとなつたのである。別言すれば、本法律、勅令が清算しようとする社寺と国有境地との特殊な関係は、凡そ以上のような沿革を閲し、醸成せられたものであつて、それ故にこそ宗教団体に対する特別の利益供与を禁止している新憲法の下において、それと牴触することなく、法律第一条の境内地譲与を規定し得、且つ、規定せざるを得なかつたのである。

(三) 原告神社の奥宮境内地たる富士山八合目以上の土地は、法律第一条第一項に定める要件(前記七に記した(1)乃至(2)の要件)を完全に充足している。即ち、右土地が明治初年の社寺上地、改正処分により無償で国有化されたことは、前述のとおりであるから、第一の要件を備えていることは既に明らかである。そして、第二の要件である国有財産法による無償貸付の関係についても、また、これを具備していること分明である。けだし、富士山八合目以上の土地は、前述のように、もともと原告神社の使用する公用財産であつたところ、昭和二十一年勅令第七十一号附則第六項により「本令施行の際現に国において神社の用に供し、または供するものと決定したる公用財産は、これを従前より引続き神社の用に供する雑種財産と看做す」こととなり右勅令施行の日たる昭和二十一年二月一日以降雑種財産となるに至つたが、同勅令第三条は、神社境内地たる雑種財産は寺院境内地と同様神社に無償貸付する旨規定しているからである。さらに、第三の要件である宗教活動上の必要性も、当然これを肯定すべきである。何故なら、原告神社は前述したとおり日光二荒山神社(男体山)、白山比咩神社(白山)、大物忌神社(鳥海山)等がそれぞれの山を神体山とするのと同様、富士山殊にその八合目以上をその御神体となし、この地域は不可分の全一体として宗教活動の用に供されており、原告神社の宗教活動を行うにつき、必要欠くべからざるものであるからである。

四、原告神社の譲与申請とこれに対する被告東海財務局長の処分について

(一) 叙上のように、富士山八合目以上の土地は、法律上譲与の要件を完全に具えているので、原告神社は昭和二十三年四月二十八日付をもつて大蔵大臣あて、肩書地所在の本宮の敷地と併せて、これが譲与の申請をした。即ち、

(1) 本殿、拝殿、社務所その他神社に必要なる建物又は工作物の敷地に供する土地(勅令第一条第一項第一号該当用地)として、

奥宮の分 十二万二千八百七坪二合八勺(目録第一の土地のうち旧噴火口敷地に相当する部分で、別添図面中黄色に彩られた区域)

本宮の分 一万百十八坪四合一勺

(2) 宗教活動上の値式又は行事を行うため必要な土地(同第二号該当用地)として、

奥宮の分 百十万三千二百二十一坪六合七勺(目録第一の土地のうち旧噴火口敷地を除いた区域と目録第二の土地で、別添図面中青色に彩られた区域)

本宮の分 三千百十九坪三合四勺

(3) 社寺の尊厳を保持するため必要な土地(同第五号該当用地)として、

本宮の分 四千二百九十七坪四合七勺を一括して譲与申請した。しかして該申請書は大蔵省名古屋財務局富士宮出張所(後日東海財務局沼津出張所に移管された)に同月三十日受理せられた。

(二) 大蔵大臣は、右の譲与申請に対し、昭和二十七年十二月五日東海財務局長あてに、本宮の分は右申請どおりの土地合計一万七千五百三十五坪二合二勺を譲与するが、奥宮の分は

(1) 勅令第一条第一項第一号該当用地として

奥宮社殿敷地 五百坪

久須志神社敷地 二百坪

(2) 同第二号該当用地として

金明水 十六坪

銀明水 十六坪

大内院 四万七千三百坪

銅馬社 十坪

剣ケ峰 百坪

三島岳 百坪

駒ケ岳 百坪

朝日岳 百坪

成就岳 百坪

久須志岳 百坪

白山岳 百坪

浅間岳 百坪

このしろ池 千坪

天拝所 十坪

八合五勺参籠所 百坪

以上合計 四万九千九百五十二坪のみを譲与し(但しこれらの地積は後日画定することとなつていたが、未だに画定されていない)その余は譲与しないとの行政処分をするように指示した。昭和二十七年十二月八日被告東海財務局長は大蔵大臣の指示どおりの処分を東海財管一第千六百二十七号をもつてなし、その処分の通知は同月九日原告神社に到達した。

五、被告東海財務局長のなした右処分の瑕疵と、これに対する原告神社の不服について

(一) しかし、譲与を拒否された区域と譲与することになつた区域とは、両者相合して原告神社の御神体を形成し、仏教に所謂御本尊に相当するものとして古来から富士信仰の対象となつている。富士山八合目以上の土地は、どの部分をとりあげてみても原告神社の御神体の一部であり、不可分の全一体をなしている。その地域内に浅間神社、奥宮、久須志神社、金明水、銀明水、浅間岳、成就岳等々が点在しているのも、実にこれらの敷地が御神体の一部をなしているからである。従つて、たまたま特定の神社設備が存在し又は儀式行事が執行されるのを理由として、それらの敷地のみを全体から切離し、それらだけで原告神社の宗教活動を充足し得るとすることは、これらの敷地が御神体の一部として富土山八合目以上全地域と不可分の関係にあることを否定し、それぞれが独立して存在し、右地積外はそれらの附属地に過ぎぬものとすることである。その結果、原告神社の、富士山八合目以上を主要なる御神体とする鎮座以来の伝統はふみにじられ、ひいては原告神社の御神社の御神体が分断され、その宗教的基礎は根本から覆えされるに至るのであつて、右措置はひとえに宗教活動の設備形式にのみとらわれ、その本体の存在を見失うものと言うべきである。これがため原告神社の数十万信者の信仰は動揺をきたすこと必定であつて、右の考え方は到底許さるべきものではない。富士山八合目以上の土地は、前叙のように、法律第一条第一項に規定する譲与の要件を完全に具備しているのである。しかるにこれを無視した被告行政庁の本件処分は明らかに同条項に違反し取消を免れないものである。しかも、右処分は実に同じく神体山信仰に立脚する二荒山神社(男体山)や白山比咩神社(白山)、大物忌神社(鳥海山)等に譲与処分を行つたのに比し唯一の特例をなし、何等の具体的、合理的理由なくして原告神社に対してのみ不当不法な不利益を強要するものであつて、憲法第十四条にいう法の下の平等に反するのみならず、ひいては、同法第二十条に宣明する信教の自由をも侵犯することともなつているのである。

(二) そこで、原告神社は、昭和二十七年十二月十日、右行政処分を取消し富士山八合目以上の土地を全部原告神社に譲与するよう大蔵大臣あて訴願を提記した。

大蔵大臣はこの訴願につき社寺境内地中央審査会に諮問したところ、同会は慎重審議の結果、同年十二月二十四日富士山八合目以上は神体山なるが故に原則として原告神社の訴願通り譲与すべき趣旨の答申をなした。しかるに、大蔵大臣は爾来四年有余を経過するも、未だに訴願の裁決をしない。

よつて、原告は止むなく行政事件訴訟特例法第二条但書に則り、訴願の裁決を経ないで、被告の右行政処分の一部(前記譲与しないとする部分)取消を求めるべく、本訴請求に及ぶ次第である。

第二、本件譲与処分が違法でないという被告の主張に対する原告の反論。

一、社寺境内地返還問題の沿革について、

社寺境内地返還問題は、なるほど、被告の主張するように寺院境内地を中心に惹起されたものである。しかし、そこで返還の理由とせられたのは、ひとえに寺院境内地が明治初年の社寺上地、地租改正等により強制的に、且つ、無償で国有に帰したことに存したのであるが、その点に関する限り、神社境内地もまた寺院境内地と何等変るところがないのであるから、返還問題の発生すべき素地は充分に覆在していたのである。それにもかかわらず、現実には神社境内地につき、返還問題が発生しなかつたというのは、実に、旧憲法下におけるる神社の置かれた特異な地位が、寺院におけるが如き境内地返還の必要性を招来せしめなかつたことによるものである。即ち、神社は当時祭政一致の思想の下に国家的施設において経営される「営造物法人」として、独り宗教の圏外にあるものとされ、寺院が一私法人の立場にあつたのに比し、格段の国家的保護を与えられ、国有境内地の使用関係も、寺院のそれが国有財産上「雑種財産」の無償使用とされていたのに対し、神社境内は「公用財産」として神社がその本来的目的の用に供するものとされていたのであつて(大正十年国有財産法第二条第二号、第二十四条)かゝる行政面における著るしい取扱上の差異は、寺院について自立自営の必要上いわゆる境内地返還問題が発生したことを肯ぜしめる反面、神社について、あえてその境内地を他の国有財産と切り離して、形式的にこれを神社の所有とする必要性は全くなく、従つて、返還問題が生じなかつたことを肯定せしめるに足るのである。

しかるに、終戦後、昭和二十年十二月十五日聯合国最高指令部参謀副官発日本政府に対する覚書「国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の廃止に関する件」(神社指令)が出され、次いで、新憲法の制定を見る等の一連の宗教民主化過程の進行にともない、右に述べた神社の国家的保護は完全に剥奪され、一万、国有境内地の制度も、またこれを存置するに由ない状態となつた。即ち昭和二十一年にはボツタム勅令である同年勅令第七十号、同第七十一号が発せられ、これによつて神社は営造物法人としての特異的地位を奪われて、全くの私法人となり、それにともなつて国有境内地の使用関係も従前の「公用財産」としての使用関係から「雑種財産」の無償使用関係へと変り、自立自営の途を歩むこととされたことにより、寺院と同様国有境内地の返還を求めるべき必要性が現実に生じたのである。かくて、神社と寺院とはここに全く同一の立場におかれることとなつたのであるが、昭和二十二年に至り、右のような国有境内地の制定を全面的且つ合憲法的に廃止するため、かゝる社寺の国有境内地の返還請求を後述するような意味で是認し、法律第五十三号の制定を見ることとなるのである。

二、法律制定の趣旨並びに「譲与」の意義について

(一) 以上のように、明治初年の社寺上地、地租改正処分は、勿論「不法不当」とまでは言い得ないとしても、それが上地者(旧所有者)の意見と関係なく国家の都合のみを考えてなされた一方的な強制行為(財産権の収奪)であつたがために、その後請求原因第八項記載のごとき経過をたどりその歪みの是正が図られてきたのであつて、法律第五十三号に基く戦後の社寺境内地譲与処分もまた、かような沿革的、政治的背景(もしくは素地)を離れては、およそ存在し得ないものである。

(二) 従つて、本法第一条の譲与は、社会的、沿革的に少くとも実質的意義において上地者たる社寺等に国有境内地を返還する義務が国家側に存し返還することを相当とする関係にあるが故になされるもので、その性質は本来旧所有権返還に過ぎず、もとより、一方的、恩恵的な処分ではない。(昭和二十八年(ネ)第四二四号同二十九年十二月三日大阪高等裁判所判決高裁民集七巻十一号千三十九頁、宮沢俊義著日本国憲法七百四十頁、法学協会編、註解日本国憲法下巻七十一頁参照)また、もしかような返還することを相当とする関係にないならば、社寺等に対する国有地の譲与を規定した法律第五十三号は、当然憲法第八十九条違反のそしりを免れないものである。

(三) しかして、右法律制定の目的は現状の維持(即ち、境内地の維持)であつて、現状の変更(即ち境内地の新設)ではない。けだし、政教分離の結果、従来のような国有境内地の無償貸付関係は、これを断絶しなければならないことになつたが、もし、当該土地の所有権を依然国において保有するならば、該土地を境内地として維持することが当然不可能となる反面、それは前述した沿革に照し、一種の財産権の没収として明らかに衡平の原則に反するのみならず財産権保護に関する憲法の規定(第二十九条)にも牴触するし、ひいては信仰の自由をも侵害する結果ともなりかねないので、宗教の自由を保護し、社寺等に譲与して、法的形態を境内地維持の目的に合致せしめようというのであり、その意図するものはまさしく現状の維持に外ならないのである。

(四) ところで、事態の根本がおよそ以上のようなものであるとすれば、境内地譲与処分の範囲(対象物の範囲)の決定(即ち、法律、勅令の解釈)については、当然、法の根本精神、信仰の本質、境内地の性質、旧所有者たる社寺等の立場が充分に考慮せらるべきであつて、被告の授つている見解は結局これを無視して極端な文字解釈に終始するものというべく、それは、本法の如き特殊な法律の解釈に当つては厳に戒むべきことである。

三、神体山信仰と神体山の管理について、

神体山は、法令の規制の対象外ではない。なるほど、被告の主張するように何を信仰するか、もしくは、何を信仰の対象とするかは、まさに人間の内心に属する事柄であつて、各人、各宗教の自由に任され本来法律をもつて規制すべき事項ではないが、現に信仰の対象となつている物を誰が管理し、支配すべきかを決定することは、単なる内心の問題とは決していい得ないのであつて、これが管理者(もしくは所有者)を誰に定めるかということは、当然法令の規制し得るところである。そして、神体山信仰に立脚する神社が、当該御神体を直接管理支配することは宗教の本質からみて当り前のことであり多年に亘り、自ら神体山の管理に当り、それに即した宗教活動を行つてきた神社が、神体山を管理できなくなれば、当然甚大な影響を蒙らざるを得ないこととなる。従つて、国有境内地の制度が存続不可能であるかぎり。神社は、その管理のため当該御神体を形成する土地の所有権の譲与を要請せざるを得ないのである。

しかして、右のような見解は、神体山関係の神社(二荒山神社、白山比咩神社等、その例は枚挙に暇がない)に対する譲与処分に際し、大蔵当局その他関係者の間で等しく認められていたところである。

四、富士山八合目以上の土地と勅令第一条第一項各号の適用について、

(一) 法律第五十三号第一条第一項によれば、社寺に譲与できる国有地は当該社寺が「宗教活動を行うのに必要なもの」でなければならないとされているところ、この抽象的な規定は勅令第百九十号第一条第一項各号でさらに具体的に規定されているのであるが、この勅令は神体山たる富士山八合目以上の土地にも当然適用がある。

勅令第一条第一項各号の規定は、なるほど、被告の主張するように一見、宗教目的を達成するために用いられる施設等の敷地(端的にいえば用地)だけを譲与の対象としたようにも解されなくもないが、神体山はそれ自体御神体として当該社寺の全宗教活動の中核、基礎たるべきものであつて、およそ用地が譲与されて御神体たる土地が譲与されないとは到底考えられない。信仰につき手段的に使用される土地が譲与される以上信仰の目的たる土地は当然譲与の対象となつているものである。

(二) 富士山八合目以上の土地に勅今第一条第一項各号を適用すると、次のとおり第一、二、五、七号のいずれにも該当することは明らかである。

(1) 第一号該当。

第一号には「本殿、拝殿、社務所、本堂、くり、会堂その他社寺等に必要な建物又は工作物の敷地に供する土地」とあるが、神体山たる富士山八合目以上の土地は原告神社の設備と一体として存在するものであり、それ自体神社施設をなすものと考えても何等差支えないから、本殿敷地に類するものとして第一号に該当する。

(2) 第二号該当。

およそ神体山はすべての宗教活動、就中、儀式、行事の核心、基礎となるもので、これを除外しての「宗教上の儀式又は行事」は絶対にあり得ないのであるから、それは明らかに「宗教上の儀式又は行事を行うため必要な土地」の範疇に入るものである。これを本件についていえば、富士山八合目以上の土地を離れては、原告神社の宗教活動は如何なる意味においても存立し得ないのである。

(3) 頂上は第一号該当。その他は第二号該当。

これは原告神社が譲与申請に際し採用した見解であるが(「請求原因」(一〇))、神体山を一般神社の本殿に相当するものとし、そのうち旧噴火口敷地一帯は内陣(本殿のうち御神体の座す部分)に当るものとして第一号に、それ以外の地域は外陣本殿のうち神饌を棒げる部分)に当るものとして第二号に、それぞれ該当することもできる。

(4) 第五号該当。

原告神社は古くより富士山を信仰の対象とする神社として最高の格式を有し、富士信仰の中核的存在として全国千数百余社に及ぶ浅間神社の根本本宮たるの地位を占めてきたが、これは、ひとえに原告神社が他の浅間神社と異なり富士山八合目以上を神の鎮まるところとして直接支配、管理し、その地に即した宗教活動を営んできたからに外ならず、こうした諸般の情況を勘案し、併せて富士山八合目以上の地形(一木一葉生育せず全域焼石におゝわれている)等をも斟酌すれば、この区域を原告神社の「尊厳を保持するため必要な土地」と認めることも何等不当ではない。

(5) 第七号該当。

富士山八合目以上の土地は、信仰の対象として絶対的な存在でありその本質上単なる由緒地と同一視すべきものではないけれども、少くとも、古来より原告神社とは密接、不可分の由緒、縁故の存することは前述のとおりであるから形式上右第七号にも該当することは明らかである。

(三) しかして、神体山に対する以上の見解は、今次境内地譲与処分にあたり、同じく神体山である男体山(二荒山神社白山(白山比咩神社)等数多くの事例において、大蔵当局自ら一貫して支持していたところであり、それら全ての場合において、国は神体山が当該神社の宗教活動上必要な土地であることを当然の事由としてこれを認め、且つ、それが信仰の対象であることをむしろ宗教活動上の必要性を肯定する根拠としていたのであつて、被告が本訴で主張するように、神体山が「物的施設を構成しない信仰の対象」であるから右勅令第一条第一項各号のいずれにも該当しないと言うが如き見解の示されたことは、嘗て一度だに存しないのである。尤も、神体山が宗教活動上必要なものであることは右のように、疑いないとしても、形式上、手続上の問題として、当該神体山に右各号のうち、いずれの号を適用すべきかについては、多少の疑義が存し、論議されたがそれも、結局原則として第一、五号を含めた趣旨で第二号該当として取扱うことに落着したのである。

五、勅令第百九十号第二条の解釈について、

勅令第百九十号第二条は「法第一条第一項及び法第二条第一項に規定する国有財産で、国土保守その他公益上又は森林経営上国において特に必要があると認めるものは国有として存置し、前項の規定にかかわらず、譲与又は売払をしない」と規定している。この条文は、法律第五十三号第一条第一項(及び第二条第一項)並びに右勅令第一条第一項に定める譲与(又は売払)の適格性を具備する国有財産であつても、右のような場合には譲与(又は売払)しないという意味の規定であり従つて、それは前述のように、少くとも実質的意義において国家に返還の義務が存し、譲与(返還)することを相当とする関係があるのに、特定の場合に限つて譲与(返還)しないとする趣旨即ち譲与(又は売払)の例外的措置を定めた規定である。右規定を勅令第一条第一項の規定とともに、譲与の対象を消極積極の両面から限定する規定に過ぎず、従つて、それは譲与の例外を定めたものではなく、単に譲与を抑制するための規定であると解する被告の主張は、前述した法律の趣旨、制定の由来等に照らし、法意を無視し、単なる字句解釈に終始するものというべきである。

しかして、右勅令第二条にいう「公益」は、次の理由により、厳格に解釈すべきであつて、拡張解釈の如きはもとより許され得べくもなく、従つて、被告が主張するような国民感情その他の事由をもつてしては、本件譲与申請を拒否すべき正当な理由とはなし難いものである。

(一) 勅令第二条の規定は、右のように譲与の例外措置を定めたものであるが、こゝに譲与とは前述の如く実質的に見て少くとも国に返還すべき相当の理由がある場合をいうのであるから、それに対する止むを得ざる例外、即ち、公益上の理由に対する財産権の譲歩を規定したものとして、当然厳格に解釈すべく、それは明白且つ具体的な必要性を有する公益理由の存する場合にのみ国有存置を許す趣旨と理解すべきである。

(二) 勅令第二条は、国有に存置すべき場合として「国土保安その他公益上又は森林経営上特に必要があると認めるもの」となし「公益上の必要」を広く解すれば、明らかにそのなかに包容せられると認められる「森林経営上の必要」を特に公益上の必要とは別に掲げ「国土保安その他公益」にこれを対置せしめているのであるから、ここにいう「公益」とは被告の主張する如く広汎なものではない。且つ、一般用語例として「国土保安その他公益上」という場合の公益とは、「国土保安」に準ずべき公益をいうのであつて「国土保安その他これに準ずべき公益」の意味である。しかもこうした「公益」のなかでも「特に」必要と認められる場合に限り、国有存置の処分をなし得るのであるから、被告が主張するような公益事由で国有存置を主張することはできない。

(三) もし被告の主張する如く、国民感情というようなもの迄も勅令第二条の「公益」中に含まれるとするならば、当然法令中に国有存置後の国有地管理に関する規定があつてしかるべきである。しかるに、これがないところより見ても右「公益」中に国民感情の如きものが含まれないことは明らかである。

(四) 原告神社以外の数多くの社寺に対する今次国有境内地譲与処分に当り、行政当局その他関係者は等しく勅令第二条を右の如く厳格に解し、国有存置の範囲を現に公益のために使用している場合乃至はこれに類する場合に限つていた。(むしろかゝる見解を当然していたからこそ、被告主張のように公益上国有存置の必要ありとして問題とされたこともなかつたのである)

六、国民感情について

(一) 被告が主張するような国民感情というが如き漠然とした無内容のものが元来勅令第二条にいう「公益」に包含されず、従つて、それをもつて国有存置の理由とすることができないことは、右に述べたとおりであるが、加えて、被告主張のように、富士山を国有として存置すべしとの国民感情が現に存在するとは到底考えられない。なるほど、広く国民の間に古来富士山を日本国土の象徴として敬愛し、尊崇する気持の存することは事実である。しかし、そのことと所有権が何人に属するかということは、事柄の性質上無関係である。現に、富士山八合目以上は原告神社の御神体として、永くその支配、管理するところであつたが(右のような国民の気持が、明治以降に至り突如として発生したものでないことは明らかであり、しかも、国有となつた後も、永久、無償使用の権利が認められていたこと前述のとおりである)、嘗て、これについてさしたる異論を見ることもなかつたのである。富士山が国民の憧憬の的だからといつて、直ちに国民が特に富士山の法律的な所有関係を意識し、又は希望していると考えるのは、飛躍的に過ぎる。しかも、被告のいうような国民感情がもしあるとすれば、それは末譲与の部分についてのみ存するものとは到底考えられないから、僅かとはいえ、既に譲与せられた部分については、どうなるのであろうか。既譲与の部分といえどもこれを原告神社に譲与することは許されない筈である。被告の見解は、自ら既になした譲与処分と明らかに矛盾するものである。

仮に、国民感情上富士山八合目以上の土地の国有存置が問題になり得るとしても、それを決定するについては、一国の思想、文化、宗教と直接に関連する問題として、当然宗教政策、文化政策等を担当する文部省を中心とし、広く有識者の意見を徴して慎重になさるべきものであつて、単なる国有財産関係の管理、処分の問題として軽々に即断し得べき事柄ではないのである。

(二) なお、被告は国民感情の公益性を判断するに当つては、富士山の登山者が年々増加し、そのため、神体山的性格が弱まりつゝあることを併せ考えねばならぬと主張するが、登山者の増加が神体山的性格の弱化をもたらすことはなく(富士信仰よりいえば、多数の人が山頂に登攀し、神の玉体―御神体―に触れることは、その行を重ねることにより最も良く神人合一の境地に到達する所以である)、これを国有存置に結びつけることは誤りである。

七、文化財保護、観光等の関係について

文化財保護、観光等につき被告の主張するところは、いずれも富士山八合目以上の土地を国有として存置することが、当局者にとつて便宜であるというに過ぎず、その公益として主張する事項も抽象的で具体性に乏しい。従つて、その主張するところをもつて国有に存置すべき公益上の理由となし得ないことは、多言を要せずして明らかである。これを分説すれば、次のとおりである。

(一) 国立公園関係

自然公園法は、国立公園を構成する土地について国有主義の原則をとつていない。従つて、被告の主張するところは、結局単に自然公園法の建前如何にかゝわらず、富士山八合目以上を国有として存置することが便宜だというに止まる。しかも、富士箱根伊豆国立公園の計画は、富士山頂は専らその原状を維持することをもつて本則としているのであるから、これが原告神社の所有に帰属することによつて、その原形が破壊せられるに至るとでもいうのでない限り(もとより、さようなことの有り得べき道理もない)、原告神社所有となることを阻止すべき根拠とはなり得ないものである。しかのみならず、富士山八合目以上が原告神社に譲与せられ、その所有に帰しても厳格な自然公園法の支配を受け、所有権その他の関係において、各種の規制を受けることは、こゝに指摘するまでもないところである。

(二) 文化財保護関係

文化財保護関係については、なるほど、被告主張のように富士山頂は「特別名勝」に指定されているけれども、元来特別名勝としての富士山頂は、原状維持をもつてその根本とするものであるところ、そのことは、右に述べたと同様、国有たると神社所有たるとにより、相異を生ずるものではないのである。

(三) 観光、交通関係

富士山八合目以上が神社の所有に帰属したからといつて、これらの関係において別段の支障を生ずるとは考えられない。

(四) 学術上の調査研究施設の関係

これについても、また、右と全く同様である。現に富士山頂はこれらの関係においてかなり利用せられており、将来もその必要が具体化するにつれて、充分に利用せられるに違いない。しかして、原告神社は、充分これに応ずる所存である。

八、なお、被告が本件において主張するところは、神体山の取扱い国有存置の可否、審査会の答申の受取り方、その他あらゆる面において、従来の国有境内地処分に当り、大蔵当局が採用していた見解並びに行政事務処理の実際と全く脊馳するものであり、このような見解の変更が本件訴訟の提起されるに及び、首肯せしむるに足る何等の理由なくしてなされたことは、行政権の正当な行使とはいえない。また。本件については、政治的にも幾多の問題があり、その処理に当つては神社の性格、宗教の本質等に対する十分なる理解を必要とするのであつて、被告の主張に散見されるような宗教軽視の態度は、到底許され得るところではない。

(被告の答弁並びに主張)

被告指定代理人は、答弁並びに主張(原告の反論に対する再反論を含む)として、次のとおり陳述した。

第一、請求の原因に対する答弁

一、第一項について

(一) 記載の事実は、全部認める。

(二) 記載中原告神社の宗教教義上の建前はさておき客観的に富士山と原告神社設備とが一体の施設として存在していることは、争う(後述第二、三、(二)参照)その他は、認める。

二、第二項について

(一) 記載中、富士山八合目以上の土地が既に譲与した地域を除き、原告神社の宗教活動上必要もしくは不可欠な土地であることは争う。その他は、認める。

(二) 記載の事実は、全部認める。

(三) 記載中、富士山八合目以上の土地が既に譲与した地域を除き、原告神社の宗教活動上必要もしくは不可欠な土地であることは争う。その他は認める。

(四) 記載の事実は、全部認める。但し、明治三十二年七月二十二日奥宮境内地に編入された目録第一記載の土地の坪数は、百七万六千三百十二坪である。

三、第三項について、

(一) 記載中、新憲法の施行に伴い、国有境内地の無償貸付関係は、その存続が許されなくなり、そのため、法律第五十三号及び勅令第百九十号を制定、公布して一定の要件を備える限り、これを社寺等に譲与することとしたこと、並びに、同法第一条の規定に基く処分が、いわゆる覊束裁量処分であることは、認める。その他は、争う。

(二) 記載については、全部争う。寺院境内地については、なるほど、原告主張の如き沿革を閲しているが、神社境内地に関する限り、その性質上、寺院と異つてさような経緯は格別見られないのである。

(三) 記載中、明治初年の社寺上地、地租改正処分によつて、富士山八合目以上の土地が無償で国有に帰したこと、並びに終戦後原告主張の勅令により、右土地が原告神社の用に供する間、同神社に無償貸付したものと看做されるに至つたことは、認める。その他は争う。

四、第四項について、

(一) 記載中、富士山八合目以上の土地が法律上譲与の要件を充足していることは、争う。その他は、認める。

(二) 記載の事実は、全部認める。

五、第五項について、

(一) 記載中、富士山八合目以上の土地が原告神社の御神体を形成し、古来富士信仰の対象となつていることは、認める。その他の主張は、争う。

(二) 記載中、昭和二十七年十二月二十四日大蔵大臣に対してなされた社寺境内地処分中央審査会の答申の趣旨は、争う。訴願に対する右審査会の同答申は、「公用または公益上必要な土地を除き、訴願人に譲与するが相当であり、その範囲は実施の状況に即し決定すべきである」旨をその内容としているのであつて、原告主張の如く、原則として原告神社の訴願どおり譲与すべきことを答申した趣旨のものではない。その他は、認める。

第二、本件譲与処分が違法でないことに関する被告の主張(請求の原因に対する反駁を含む)並びに原告の反論に対する再反論。

一、社寺境内地返還問題の沿革について、

社寺境内地のいわゆる「返還問題」としての沿革には、寺院境内地と神社境内地との間に明らかな差異が存するのであつて、両者同一に論ずることはできない。けだし、寺院境地内については、原告の述べているような経過が存したのに、神社境内地については、それがなく、また、かような返還問題等の生じる余地もなかつたからである。従つてまた、法律第五十三号制定の由来は、後述するとおりであるが、それは少くとも神社境内地に関する限り、いわゆる境内地返還問題と直接、密接の関係はないといわなければならないのである。詳言すれば、元来神社は明治初年以来祭政一致の思想の下に官国幣社の称呼にみる如く、国の営造物と考えられ、従つてその境内地も旧国有産法第二条第二号において、国の事務または事業等の用に供するものと同列に公用財産として取り扱われ、昭和二十一年勅令第七十一号「昭和二十年勅令第五百四十二号ボツダム宣言の受諾に伴ひ発する命令に関する件に基く明治三十九年法律第二十四号官国幣社経費に関する法律廃止等の件」により、官国幣社の経費、神社神道関係の官制等多数の法律、勅令が改廃されたのに伴い、旧国有財産法第二条第二号及び第二十四第が改正され、右の公用財産としての取扱をやめ、寺院境内地の場合と同様に神社の用に供する間無償貸付したものと看做されることになり、その経過措置として右昭和二十一年勅令第七十一号附則第六項において「本令施行の際現に国に於て神社の用に供し又は供するものと決定したる公用財産は之を従前より引続き神社の用に供する雑種財産と看做す」ことにされたが、それまでは神社は国と一体のものと考えられ、神社境内地は公用財産として取り扱われてきたものであつて、神社の自立自営上神社境内地を神社に返還してほしいとの要望もしくはその返還問題など起きる余地は全くなかつたし、事実なかつたのである。

二、法律制定の理由並びに「譲与」の意義について

法律制定の理由は、新憲法がいわゆる政教分離の原則を掲げ、宗教団体に対する特別の利益供与を禁止したので、社寺等に対する国有境内地の無償貸付関係はこれを断絶しなければならないことになつたことに基づくものである。しかして国有境内地は明治初年強制的に国有とされた沿革に鑑みればこれを社寺等に返還しても特定の宗教団体に対して特別の利益を供与することにもならないので、一定範囲の土地を返還して解決し、そしてその返還すべき範囲については最少限度社寺等の自主独立の宗教活動が行われるように配慮するのが必要かつ妥当と考えて、国有境内地のうち、社寺等の宗教活動上必要なもので、元社寺等の所有であつたものについては、その所有権を「返還する意味」でこれを社寺等に譲与することとしたものである(第一条)。しかしながら、それは新たな措置として社寺等に譲与するということであつて、社寺等の所有に属しているものを国が保管しており、従つてその返還義務があるから、これを返還するというのではなく、またかつてなされた社寺上地、地租改正等が不法不当であつたから還付するというのでもないのである。

三、富士山八合目以上の土地は、既に譲与した土地を除き、原告神社の宗教活動を行うのに必要ではない。

(一) 法律第一条第一項のいわゆる社寺等の宗教活動を行うのに必要なものとは、主として、社寺等が祭典、法要、儀式行事等の宗教活動を行うのに必要な物的施設を構成する土地をいうのであつて、物的施設を構成しない信仰の対象の如きものはそれに含まれない。

法律第一条第一項は、譲与の要件として、(1)社寺上地、地租改正等によつて国有となつた国有財産であること、(2)法律施行の際現に社寺等に対し国有財産法によつて無償貸付がなされていること、(3)その社寺等の宗教活動を行うのに必要なものであることの三つの要件を定めているが、一方法律第三条において、「第一条第一項又は前条第一項の規定によつて譲与又は売払をする国有財産の範囲は勅令でこれを定める」と規定し、社寺等の宗教活動を行うのに必要なものとして譲与する国有財産の範囲については、これを勅令に委任し、これに基づいて勅令第百九十号第一条第一項は、その譲与する国有財産の範囲を定めているのであるから、法律第一条第一項の社寺の宗教活動を行うのに必要なものは、勅令第一条第一項各号に掲げるものに限定されているものといわなければならない。しかして、その各号をみるに、第一号は、本殿、拝殿、社務所、本堂、くり、会堂その他社寺等に必要な建物又は工作物の敷地に供する土地であつて、それは当該社寺等が祭典、法要等を行うのに必要な基本的物的設備としての建物、工作物の敷地第二号は、端的にいえば用地というに外ならず、宗教上の儀式又は行事を行うために必要な土地であつて、古来当該社寺等が宗教教義の具体的表白行為としての儀式又は行事を行うのに必要な土地をいい、いわば手段的に利用されている土地、第五号は、社寺等の尊厳を維持するため必要な土地であつて、風致林その他当該社寺等が古来社会的に認められている格式を維持する上に必要な土地をいうのであり、その他の各号に掲げているものも、五号の土地と同様一号、二号に掲げる土地に附随して、社寺等が宗教活動を行うのに必要な土地及びその定着物であつて、これを要するに、勅令第一条第一項において、社寺等の宗教活動上必要なものとして、譲与の対象として考えられているものは主として社寺等が祭典、法要、儀式、行事等を行うのに必要な物的施設を構成する土地であつて、その物的施設を構成しない信仰の対象の如きものは考えられていないのである。これはもともと信仰の対象の如きものは、人間の内心に属する事柄であつて、各人が、従つて各宗教がそれぞれ固有の宗教的立場において信奉するものであり、それは一切各人、各宗教の自由に任され、本来法律をもつて規制すべき事柄でないことからして当然のことであるが、いずれにしても、勅令第一条第一項各号において、御神体というような信仰の対象を取り上げて規定してはいないのであるから、それが法律第一条第一項の宗教活動を行うのに必要なものに含まれないことは明らかであるといわなければならない。

ところで、原告は、富士山八合目以上の土地は原告神社の御神体を形成し、仏教にいわゆる御本尊に相当するものとして、古来富士信仰の対象となつているといい(その点は争わない)、それを根拠に本件譲与の申請をなしているのであるから、その理由では、右に述べたところにより、富士山八合目以上の土地が原告神社の宗教活動を行うのに必要なものに当らないことは明らかである。

なお、譲与の対象となるべき国有財産は、固より宗教教義の如何にかかわらず、法律、勅令の要件を満すものでなければならないこと多言を要せずして明らかであるところ、右に述べたように、御神体あるいは御本尊といつたような信仰の対象は元来譲与の対象となされていないのであるから、原告の危虞する如き原告神社の御神体を両断する等ということは、およそ法律、勅令の解釈適用上起り得ないことであり、しかも、後述するように、そもそも神体山はそれが存在する限り神体山として成り立ち得るものであつてその所有権の帰属如何は、元来神体山としての存立には関係がないのであるから、富士山八合目以上の土地のうち一部を譲与し、他を譲与しないからといつて、法律上の所有関係はとも角、信仰上その対象たる御神体が二分されることになる筋合のものでは決してないのである。

(二) 富士山八合目以上の土地は、すでに原告神社に譲与した土地を除き勅令第一条第一項第一、二号に該当しないのはもちろん、第五、七号にも該当しない。

原告は富士山と原告神社設備とは一体として存在しているのであるから、法律第一条第一項の要件を満すものであると主張する。なるほど、原告神社の宗教教義の建前からみれば、富士山と原告神社設備とが一体として存在するものと考え得るかもしれない。そう考えることは原告の自由であつて、被告はあえてその点否定するつもりはないが、問題は法律の解釈適用上はたして富士山が原告神社の設備と一体のものとして、いいかえれば、その設備の構成部分として見ることができるかどうかである。しかし、原告神社の設備として認められるものは、本宮及び奥宮の本殿、拝殿、社務所等の建物その他の施設であつて、如何なる意味においても富士山を原告神社の設備と見ることはできない。のみならず、仮に富士山を原告神社の設備と一体のものとして考えても、勅令第一条第一項第一、二号において譲与の対象として掲げているものは、本殿等の建物の敷地かまたは行事用地であつて富士山がこれに当らないことは明らかである。

また、原告神社の宗教教義の上からすれば、富士山八合目以上の土地を一般神社の本殿の役を果しているものとし、それをさらに区分して内陣、外陣に相当するものと考えるかもしれないが、勅令第一条第一項第一、二号に規定する土地は、前述したように、当該社寺等の具体的な物的設備を構成する建物、工作物の敷地並びに当該社寺等が古来宗教教義の具体的表白行為としての儀式または行事を行うのに必要な土地をいうに外ならないところ、富士山八合目以上の土地は、既に譲与した土地を除き、そのような要件を具えていないのであるから、勅令の解釈適用に関する限りこれを右各号に該当するものとして譲与することは許されないものといわなければならない。

さらに、本件八合目以上の土地は、本宮はもちろんのこと奥宮ともこれに附随してその風致を維持し、神厳なる境内地を形成し、もつて原告神社の社格を維持するという関係にはないから、原告が第五号該当地として処分された事例として挙示する砥鹿神社、二荒山神社の場合と同様に第五号に該当するというわけにもいかないし、また単に神体山であるとか、或は過去において境内地であつたからというだけでは第七号に定める特別の由緒ある土地に該当するともいい得ないのである。

尤も、従来行政当局が行政事務処理上、法律にいう「宗教活動を行うのに必要なもの」の解釈につき、多少ゆるやかな態度を採り、神体山の取扱についても勅令第一条第一項各号にそのまま当てはまらないが、第一号第二号第五号等のいずれかに該当するものとして取り扱つて来たことは事実であり、本件の富士山八合目以上の土地の処理に当つても、公益上国有存置の必要性が重視論議され、神体山として原告神社の宗教活動上必要なものかどうかの点はそれ程顧慮されなかつたのであるが、本件の如き譲与申請不許可処分取消の訴訟が提起されてみると、はたして従来のような取扱が妥当であつたかどうか再検討してみる必要があり、しかして、神体山は法律、勅令にいう宗教活動上必要なものに該当しないと解するのがむしろ正しい法律解釈であると考えるのである。

なお、被告は富士山頂の一部を原告神社に譲与したが、これは奥宮社殿敷地五百坪、久須志神社敷地二百坪、合計七百坪については勅令第一条第一項第一号の建造物用地として、金明水十六坪、銀明水十六坪、大内院四万七千四百坪のうち中央気象台観測所に必要な底地の百坪を除く四万七千三百坪、銅馬社十坪、剣ケ峯百坪、三島岳百坪、駒ケ岳百坪、朝日岳百坪、成就岳百坪、久須志岳百坪、白山岳百坪、浅間岳百坪、このしろ池千坪、天拝所十坪及び八合五勺参籠所百坪、合計四万九千二百五十二坪については、同条同項第二号の儀式または行事用地としてそれぞれ譲与したのであつて、これらの土地を単に神体山であるという理由で譲与したものではない。

(三) 原告神社は富士山八合目以上の全地域を所有する必要はない。

富士山八合目以上の土地が原告神社の御神体であるとすれば、原告神社においてこれを所有することが、同神社の宗教活動を行う上において便宜であることはあえて否定しないが、しかし、それ以上に右土地を所有しなければ、神社としての尊厳が害され、その宗教活動が不可能ないし因難に陥るという筋合のものではない。もともと、ある物を信仰の対象にすることと、それを所有することとは、およそ次元を異にする別個の問題であつて、その間に必然的な関連は存しないのであるから、信仰の対象となる物を所有しないからといつて、それを信仰の対象とすることができないというものではないし、従つて、原告神社としても、よしや富士山八合目以上の土地を所有しなくとも、それが存在する限り、これを信仰の対象として望拝することは可能であるから、それによつて充分に原告神社の尊厳は維持され、その宗教活動を行うにつき、別段の支障はない筈である。

四、富士山八合目以上の土地のうち、既に譲与した部分を除き、その余の土地は、公益上国有存置の必要があるから、これを譲与することはできない。

(一) 法律第一条第一項に定める各要件を充足する土地であつても、公益上国において特に必要があると認めるものは、国有として存置し、従つてこれを譲与することはできない。

けだし、勅令第二条は「法第一条第一項及び法第二条第一項に規定する国有財産で、国土保安その他公益上又は森林経営上国において特に必要があると認めるものは、国有として存置し、前項(註勅令第一条を指す)の規定にかかわらず、譲与又は売払をしない」と定めているからである。即ち、法律第一条第三条、勅令第二条の解釈上、仮に富士山八合目以上の土地が法律第一条第一項の要件を具備しているとしても、右勅令第二条の定める「国土保安その他公益上又は森林経営上」の必要性が存する限り、これを国有として存置すべく、譲与することはできないのである。

しかして、勅令第二条の右規定は、その性質上、勅令第一条第一項の規定とともに、譲与の対象(範囲)を限定する趣旨の規定であり、ただ、後者は積極面から、前者は消極面からそれぞれ規制しようというに過ぎないのであるから、勅令第二条にいう国有存置の規定は、譲与の例外を定めたものではなく、単に譲与を抑制するための規定であり従つてその解釈についても、返還義務のあるものを返還しないという場合とは異なり国有存置の必要性を特に厳格に解釈しなければならないということはないし、またそれは財産権を剥奪し、または制限するというのではないから、右のように解したからといつて、憲法違反の問題の生じる余地もない。

なお、境内地譲与処分についての行政事務処理の面で公益上国有存置の必要ありとして問題にされた案件はなく、従つて原告主張のように公益理由を現に公益のために使用している場合に限つて考えたということもない。また、公益の内容はそれ自体決して確固不動のものではなく、それぞれの法律勅令により或いは事案の性質により、各々その内容を異にするものであつて、殊に本件富士山の問題の如く従来かつて存在しなかつた新しい問題について考える場合には当然当該具体的な場合に即して公益理由の存否を判定しなければならないのである。

(二) 公益上国有存置の必要性について

(1) 国民感情の点からいつて国有存置の必要がある。

富士山は、わが国において唯一無比の高山であり、且つ、秀麗な山であるところから、古来わが国民一般によつて敬慕され、日本国土の象徴として渇仰されていることはいうまでもないが、近時においては、交通の発達により、直接その偉容に接する者の数を増し、また、登山の普及に伴い、最も民衆的な登山の対象とされ、さらに外国との交通の開けるにつれ、世界的名山として全世界に喧伝されるに至つたものであつて、今日においては、既に富士山は国民全体のものであるという強い国民感情が存在することは周知の事実である。かような国民感情は国民一般の持つ利益としてこれを無視できないものである。尤も、一般的にいつて公益の概念にかような国民感情が包含されるかどうかは若干問題なしとしないが、法律制定の目的、精神と国民感情の絶対性及び富士山の神体山的性格の弱化していることを併せ考えて、右のような国民感情は勅令第二条にいう公益に包含されるものと解すべきである。即ち、法律は既に述べたように、政教分離の根本思想に立脚し、社寺等に対する国有境内地の無償貸付関係を断絶し、社寺等をして自主独立の宗教活動を行わしめることを目的として制定されたものであり、従つて、それは社寺等に対して特別の保護、利益を与えるためではなく、また、社寺上地、地租改正等が不法不当であつたから、無条件に社寺等に還付しようというのでもなく、単に社寺等をして将来国家の監督統制を離れて自主独立の宗教活動をさせるために、社寺上地地租改正等によつて上地され現に無償貸付している国有財産のうちから、社寺等の宗教活動に必要な範囲の土地を譲与せんとするに過ぎないのであるから、勅令第二条にいう公益は、社寺等が現に有する財産権を剥奪し、またはこれを制限するための要件ではなく、国家が国有地を特に決定して社寺等に譲与するのを抑制するための要件であり、従つて、そこにいう公益は、前者の場合に比較して程度の低いものであつて差し支えないと考えられる反面、富士山を日本国土の象徴であり、唯一無比、永遠にかわることのない存在として考えている国民感情の絶対的なものであるという点を考慮すれば、かかる国民感情は充分に勅令第二条にいう公益に該当するだけの利益性を有するものと考えられるのみならず、三輪山の如く古来神殿の設けがなく、山麓に拝殿のみを有する純粋の神体山と異なり、富士山においては、山麓に拝殿のみならず本殿まであつて、しかも近来一般人の登山が行われて神体山としての純粋性が相当失われ、神体山的性格が弱化している情況を併せ考えれば、富士山を国民のものとして、従つて国有として存置したいという強い国民感情はまさに勅令第二条の公益に該当するものと解するのが相当である。

(2) 文化観光その他の点において国有存置の必要がある。

昭和二十六年以降厚生省、運輸省(海上保安庁、気象庁)、文部省(文化財保護委員会)、日本電信電話公社等により、それぞれ大蔵大臣あて国有存置の意見の提出もしくは所管換の協議、使用の申請等がなされており、文化観光その他の点において国有存置の必要がある。以下各省庁の具体的計画を述べれば次のとおりである。

(イ) 厚生省の計画について

富士山は富士箱根伊豆国立公園の核心をなしているにもかかわらず、宿泊、休憩施設、救急施設、便所等が甚だ不備であつて、年間十数万人に及びさらに年々増加の一途をたどつている登山者に対し甚だしい不便と不快の念を与えているのみならず、殊に海外より訪れる観光客に対し、もしくはこれが誘致に好ましくない影響を及ぼすことを考えれば、これが整備は急を要するものというべきところ、厚生省においては、富士山を自然公園法第十七条による特別地域としているが(旧国立公園法第八条により昭和十三年五月十三日付厚生省告示第六十八号をもつて指定され、自然公園法附則第五項によつて同法に基づく特別地域と看做された)、さらに、これを同法第十八条に定める特別保護地区に指定して、登山者にとつて必要最小限度の基本的公共施設たる登山道、管理、救急、宿泊、休憩、展望等の諸施設、便所等の整備運営を国立公園事業として計画中であつて、これが遂行に当つては、右諸施設を集団的に整備するため、同法第二十三条に基づき集団施設地区に指定することを考慮しているのである(本件訴訟が係属中なのでその指定を差し控えているものである)。ちなみに施設整備の一端を示せば、昭和三十一年七月に当時運輸省所管東京管区気象台所属の旧軍用施設の所管換を受け、管理、救急の施設として、すでに昭和三十一年度予算をもつて、一部これを整備したのであるが、さらに、昭和三十二年度予算をもつて、同施設整備の大半は終了し、富士山頂管理休憩所として昭和三十二年夏に開設された。

(ロ) 運輸省の計画について

運輸省における富士山の利用計画は、同省の外局である海上保安庁並びに気象庁並びに気象庁が立案に当つているのであるが、その骨子は次のとおりである。

(1) 海上保安庁の計画

天文観測、磁気観測を行つて暦計算をし、航空図を作成するためには空気が稀薄であり、また、火山の有する地磁気及びその分布状態、局地異常磁場を究明し、その資料を利用する必要が存するのであるが、これらの観測施設等の建設敷地等に使用するため九千八百五十坪が予定されている。

(2) 気象庁の計画

富士山頂に存する富士山測候所は昭和七年開設以来常設の高山測候所として一般気象を初め各種の地球物理的気象の観測に従事して来たが、近年これに航空上必要な気流の調査等の業務をも加え、これらの観測に必要な施設敷地として、二千二百九十九坪のほか、送電線、電話線、避雷装置、登山安全柵の既設土地並びに諸施設保持に必要なその沿線の土地等が予定されている。

(ハ) 文部省の計画について

文部省における計画は、同省の外局である文化財保護委員会において立案しているのであるが、同委員会は、文化財保護法第六十九条に基づき、富士山を昭和二十七年十月七日名勝に、次いで、同年十一月二十二日特別名勝に各指定したが(昭和二十八年四月四日付文化財保護委員会告示第二十号及び同第二十一号参照)なお、観賞上、学術上、伝統上の価値を有する富士山の文化財保護の観点から、同山を統一的に維持管理する方針をたてている。

(ニ) 日本電信電話公社の使用申請について

富士山の夏期登山者のための超短波電話局を開設し、御殿場局を通じて山頂と山麓とを結ぶ通信施設建設敷地として、約千坪の土地について、継続使用の申請が提出されている。

五、本件処分は原告神社にのみ不当な不利益を強要するものではない。

原告神社が二荒山神社、白山比咩神社、大惣忌神社等と同様にいわゆる神体山信仰に立脚するものであることは、あえて否定しないが、ひとしく神体山信仰といつてもそれぞれに特殊性があり、勅令の解釈適用上建造物用地とみるべきか儀式行事用地とみるべきか、また尊厳保持用地とみるべきか等については社殿の位置、儀式行事の内容、山の形状等により異り、それらを勘案して譲与するか否かを決すべきものであるから、原告神社に譲与しないからといつて、正当に法律を適用した結果であれば原告神社に不当不法な不利益を強要するものではないし、また憲法の保障する信教の自由を侵しているものでもない。のみならず、他の神体山の場合には本件富士山の場合の如く公益上国有存置の必要性がなかつたからそれが問題とされなかつたのであるが、本件の場合はそれとは事情が異るのであるから、本件の場合申請を認めなかつたからといつて、これをもつて法の下の平等に反する違憲の措置であるということもできない。要は、本件処分が適法かどうかであつて、仮りに、原告の挙げる右各神社の事例が本件と全く類似していたとしても、処分の適否はその処分についてのみ決すべきものであり、他の事例と比較して処分の適否に決すべきものではないのである。

六、以上詳述したとおり、原告神社において譲与を申請した富士山八合目以上の土地は、法律、勅令に照らし既に譲与した部分を除き、元来譲与することができないものであるから、これを譲与しなかつた被告東海財務局長の本件行政処分にはもとより何等違法の瑕疵は存しない。

(証拠関係) <省略>

理由

第一、当事者間に争いのない事実

原告神社の由緒、沿革、規模、格式等が原告主張のとおりであること、富士山八合目以上の土地が原告神社の御神体を形成し、古来富士信仰の対象となつていること、同土地は、古くより原告神社が支配、管理してきたこと、明治初年の社寺上地、地租改正処分により、右土地は無償で国有地となつたが、明治三十二年と昭和七年の両度にわたり、その全域が原告神社の境内地として認められ、爾後大正十年法律第四十三号国有財産法(旧国有財産法)第二条第二号に定める「国に於て神社の用……(略)……に果するものと決定したる……(略)……」国有地(即ち公用財産)として原告神社の管理するところとなつたこと、右境内地編入の理由が「境内に必要なる風致林野」に該当することを根拠とするものであつたこと、終戦後原告主張の勅令の施行によつて、富士山八合目以上の土地が原告神社の用に供する間、同神社に無償貸付したものと看做されるに至つたこと、新憲法に宣明する政教分離の制の確立に併い、法律第五十三号が制定され、原告神社は同法律に定める手続に依拠して、肩書住所地に所在する同神社本宮の社殿敷地等の土地合計一万七千五百三十五坪二合二勺と併せて、本件係争にかかる富士山八合目以上の土地につき、その全域(但し、坪数には争いがある)の譲与を大蔵大臣あてに申請したところ、被告東海財務局長は、同大臣の指示を得て、右申請にかゝる土地のうち本宮の分は申請どおり譲与するが、富士山八合目以上の分(奥宮境内地の分)は、奥宮社殿敷地、久須志神社敷地、大内院(旧噴火口)、金明水、銀明水等の所在する土地等合計四万九千九百五十二坪のみを譲与し、その余は譲与しない旨の行政処分をなしたこと、原告神社は、右処分を不服として大蔵大臣に対し訴願を提起したが、同大臣は、該訴願に関し、法律に則り社寺境内地中央審査会への諮問並びにその答申を経ながら、未だ裁決をするに至つていないことはいずれも当事者間に争いがない。

第二、問題の所在

本訴における原、被告双方の主張は、かなり多岐にわたる。しかし、事実関係については、双方の主張に見るべき食い違いが少なく、その殆んどは、互いに法律的乃至論理的所説を堅持して抗論する見解の開陳であり、おしなべて法律第五十三号及び勅令第百九十号の解釈、適用(その論争は、同法律、勅令の沿革的由来にまで及んでいる)を廻る鋭い対立である。それは大別して二の論点にわかれる。その一は、本件係争にかかる富士山八合目以上の土地全域が、法律第一条第一項(従つて、同法第三条の委任を受けてこれを具体化した勅令第一条の各項各号のいずれか)に該当するか否かの問題であり、その二は、右係争土地域が同法条所定の各要件を具備するとしても、勅令第二条に定める公益上国有存置の必要性を備え、従つて、同土地を譲与の対象から除外し、国有として存置することが相当であるかどうか(但し、既に譲与せられた部分の土地を除く)の問題である。しかして、法律第一条第一項は「社寺上地、地租改正、寄附(地方公共団体からの寄附については、これに実質上負担を生ぜしめなかつたものに限る)又は寄附金による購入(公共団体からの寄附金については、これに実質上負担を生ぜしめなかつたものに限る)によつて国有となつた国有財産でこの法律施行の際現に神社、寺院又は教会(以下社寺等という)に対し、国有財産法によつて無償で貸し付けてあるもの又は国有林野法によつて保管させてあるもののうち、その社寺等の宗教活動を行うのに必要なものは、その社寺等においてこの法律施行後一年内に申請をしたときは、社寺境内地処分審査会又は社寺保管林処分審査会に諮問して、主務大臣がこれをその社寺等に譲与することができる。」と規定しているところ、富士山八合目以上の土地が「その社寺等の宗教活動を行うのに必要なもの」との部分を除くその余の譲与の要件を充足していることは前叙争いのない事実に徴し明らかであるから、結局同法条該当の有無は富士山八合目以上の土地全域が原告神社の宗教活動上必要なものと解することができるかどうか、即ち換言すれば同土地が具体的に、勅令第一条第一項各号のいずれかに当るか否かの問題に局限せられるのである。

ところで、法律第五十三号はきわめて特殊な沿革的背景の下に制定された特異な性格を持つ法律である。同法律の諸規定を理解する上において、その歴史的、社会的及び法律的な沿革、背景(殊にいわゆる社寺領上地、地租改正処分の経過、実態)並びに法律制定の目的、趣旨等を探索し、これを把握しておくことがきわめて重要である。しかるに、その主要な点については、被告間に見解乃至は評価の激しい不一致が存し、しかも本件は既に一言したように事実関係についての争いは少なく、しかし、右法律(並びに勅令第百九十号)の解釈を廻つて鋭く且つ多彩な見解の対立が見られる案件であるから、当裁判所が本件につき審理、判断を進めるに当つては、いささか異例ではあるが、先ず右の沿革的な由来並びに法律、勅令制定の目的、趣旨等に一統的、集括的な考察を加えておくことが便宜且つ適当と考える。

第三、法律、勅令制定の由来

一、沿革的背景

法律第五十三号によつて処分の対象とされている社寺等に無償で貸付けてあつた国有財産(既ち、いわゆる国有境内地と呼ばれるものがこれである)は、およそ次のような沿革(経過)を閲したものである。なお、以下に記述する沿革(経過)に関しては、大蔵省管財局編「社寺境内地処分誌」三十頁乃至百五十三頁、百九十四頁乃至二百八頁に詳しく(同誌は、本訴において甲第二号証として提出され、その成立は争いがない)そのうち、原告の指摘、引拠する法令、通達(通牒)の存在及びその内容は、被告もこれを肯認して争わず、両者の間に見るべき見解の不一致はない。しかして、事実認定にわたり、あるいは、これを伴う部分については、右掲甲第二号証によつて下叙のとおり認定することができる。

(一)  明治二年七月のいわゆる版籍奉還により、諸藩の領有地はすべて国有に帰したが、反面、同じく封建的領地である社寺領は、依然旧来のままの状態におかれていたので、次いで、政府は明治四年正月五日大政官布告(旧三年庚午十二月)を発し、「社寺領現在の境内を除く外一般上知」せしむることとしたこ。こに上地の対象とされたのは、維新後までも「従前の通被下置侯処」の「朱印地、除地等」に限られ、且つ、それは「現在の境内を除く」ものであつたが、実際には境内地として認むべき範囲が不明確であり、当時なお封土的性質の附着した境内地も少なくなく、土地私有制度確立のための政策的必要もあつて、同年五月二十四日大政官達(寺院境内区別を一定せしむるの件)をもつて「従前の坪数、反別に不拘相当の見込を以て境内の区別相定其余田畑山林は勿論不毛の土地に侯共墓所を除くの外」上地すべきことを、また同年七月四日大政官達(神社祿制制定に付境内区別方の件)をもつて「本社及建物等現今の地形によつて相除其他総て」上地すべきことを、各命じ、続いて、次に述べる地租改正事業の一環として明治八年六月二十五日地租改正事務局達乙第四号(社寺境内外区画取調規則)を制定し、「社寺境内の儀は祭典、法用に必需の場所を区画し、更に新境内と定其余悉皆上地の積取調べき事」となし、次いで同年七月八日地租改正事務局議定(地所処分仮規則)で「社寺境内外は本年本局乙第四号達に準拠検査し官民有の区分を確定すべし」「総て民有地の証なきもの及民有地を政府へ買上げし神社敷地は官有地第一種寺院敷地は同第四種へ編入すべし」と定め、もつて境内外の上地の進捗をはかつた。

一方、これより先、明治六年七月二十八日大政官布告第二百七十二号地租改正条例が公布され、全国の土地につき、その所有権者の確認、面積の測定地価の決定等の事業が推進せられたが(これは、結局我が国の近代税制の根基となつた明治維新における大事業の一である)その際、社寺等の私有の証明あるものは民有地に編入され、その証明のないものは官有地に編入せられた。即ち、「総て民有地を政府へ買上げたる地は勿論、従前朱印地除地旧領主寄附及び見捨地高内免税地等従来無税の地にして民有の証なきものは官有地に編入すべきものとす」(明治九年三月境内地処分心得書)と定められたのである。いわゆる国有境内地のうちの主なるものはこれである。

(二)  かようにして、土地に関する官民有の区分は一応決定されたが、当時民有の証拠があつても、その事実を主張せずして官有地に編入せられた疑のあるものも少なくなかつた。そこでこれを救済するために、明治三十二年四月十七日法律第九十九号国有土地森林原野下戻法が制定され、翌三十三年六月三十日までの期限を限つて「地租改正又は社寺上地処分に依り官有に編入せられ、現に国有に属する土地、森林、原野若は立木竹」につき、「其の処分の当時之に付き所有又は分収の事実ありたる者」からの申請による下戻の方途が認められ(同法第一条)その救済を受けたものも相当数にのぼつた。一方同年三月二十三日法律第八十五号国有林野法が公布され「社寺上地にして其境内に必要なる風致林野は区域を画して社寺境内に編入」し得る途が開かれた(同法第三条)。この規定においても、社寺上地または地租改正処分による土地の官民有区別に当り少なからず見られた欠陥を緩和する目的が多分に含まれていたのである。

これらの事情よりして、大正十年に制定された前掲旧国有財産法は、「従前より引続き寺院又は仏堂の用に供する雑種財産は、勅令の定むる所に依り、よの用に供する間無償にて之を当該寺院又は仏堂に貸付したるものと看做す。寺院又は仏堂の上地に係る雑種財産は其の用に供する為必要あるときは勅令の定むる所により無償にて第十五条の規定に拘らず之を当該寺院又は仏堂に貸付することを得」(同法第二十四条)と規定し、爾来国有境内地は寺院がこれをその用に供する限り、永久に無償使用し得ることとされた。(これは、実質上下戻と同一の効果を与えるものである。)なお、神社は当時国の営造物とされていたため、その境内地も国の事務または事業等の用に供するものと同列に公用財産として取り扱われた。(同法第二条第二号、尤もこの取扱いは昭和二十一年に同年勅令第七十一号をもつて変更され、神社境内地も雑種財産として寺院境内地の場合と同様無償貸付したるものと看做されることとなるのである。)

(三)  しかるところ、寺院側には元来国有境内地は沿革的に見て寺院等の所有に属するとして、その返還の趣旨をもつてする無償還付または下戻を主張するものがあり、明治四十四年第二十七回帝国議会に各宗派寺院総代から還付についての請願が提出されたのを嚆失に幾度か帝国議会においても問題とされ、種々の論議が繰返えされてきたが(以下に境内地返還問題と指称するのは、これである。なお、右の国有財産法第二十四条の制定も、一面では、その解決策でもあつた)、政府も結局以上のような境内地の沿革その他を考慮し、寺院の財産管理方法の法制化をまつてこの問題を解決すべき方針をたて、幾多の経路を経て宗教団体法(昭和十四年四月八日法律第七十七号)の公布とともに「寺院等に無償にて貸付しある国有財産の処分に関する法律」(同年四月八日法律第七十八号、以下単に前法または昭和十四年法という)を制定して、従来国と寺院、仏堂間に特殊の沿革的関係の存した国有境内地を一定の条件の下に譲与し、それによつて宗教団体の保護、助長をはかる傍ら、多年の懸案を一挙に解決しようとしたのである。ところで、神社境内地は右法律の対象とはならず、全く無関係であつたが、これは当時神社がいわゆる祭政一致の思想の下に国政上特殊法人たる営造物法人としての特異な地位におかれ、その境内地も行政上公用財産として取り扱われていたことに由来するものと見られている。

以上のうち、事実認定にわたり、あるいは、これを伴う部分については、叙上認定と相容れない証拠は何も存在しない。

二、沿革的背景と法律第五十三号の関係(特に神社境内地について)

ところで、被告は元来国有境内地に対する返還要望もしくは、これを廻る前記一連の経過は、専ら寺院境内地に関してのみ惹起せられているのであつて、反面、神社の境内地については、その国政上の特殊性からおよそ寺院の場合に見られた如き返還問題等の生じる余地も、必要も存しなかつたのであるから、沿革的に、これを同一に論ずることはできず、従つてまた、法律第五十三号が右返還問題と直接、密接に牽連して制定せられたもの即断することは、少なくとも神社境内地を考える限り、行き過ぎであり、それは法律の解釈上もさほど顧慮さるべきではないと主張する。しかしながら、法律第五十三号は、昭和十四年法の改正形式をもつて制定せられた法律である。よしや両法律が後述するように全く立法の趣旨目的を異にし、また法律第五十三号が神社、寺院を処分の対象とするのに比し、前法は専ら寺院境内地のみをその対象とするものであつたにせよ、とまれ、法令の正しい解釈に到達するためには、当該法令自体の沿革を探ることが不可欠であることをあらためてここに指摘するまでもないところであるから、如上の国有境内地の沿革を調べ、前法の制定理由を探測することは、神社境内地についての返還問題の有無と本来かかわりなく必要というべきである。しかのみならず、なるほど境内地返還問題は専ら寺院境内地を中心に惹起されていることは被告の正しく指摘するとおりであるが、反面、原告所論にいうが如く、そこで返還要望の理由とせられ問題発生の契機となつたのは、結局その沿革的背景即ち、明治初年の社寺上地、地租改正処分により境内地が強制的に且つ無償で国有となつたことに存するに外ならないと解されるところ、その点に関する限り神社境内地も寺院境内地と何等変わるところはなく、しかるに、神社境内地については現実に返還問題の生じることがなかつたというのは、ひとえに当時祭政一致の思想の下に神社がおかれていた国法上の特殊な地位が、あえて境内地の返還を受けるべき必要性を招来せずまた返還の余地も与えなかつたことによると理解されるのであつて、別言すれば、神社境内地についても返還問題の発生すべき素地は充分に覆在し、潜在的には寺院のそれと同一の途を歩むべきいわば歴史的必然性を有していたことは推究に難くないのである。従つて、神社が単なる宗教団体として寺院と肩を並べ、その国家的な保護が完全に奪われた戦後においては、境内地返還に関する問題についても、その素地乃至必然性は既に顕在化し、寺院と全く同一の立脚点に還つたと見るべきであり、少なくとも、後述のようにこれをふまえて国有境内地の譲与または半額売払の処分を規定する法律第五十三号の制定の趣旨を探り、これが解釈適用の指針を発見するためには、返還問題の経過についても、それが専ら寺院境内地に関し発生したものであるにせよ、深く顧慮されなければならないのであつて、寺院境内地と神社境内地を同一に論ずることはできないとする被告の所説はその意味において当を得ない。しかして、法律五十三号はかような沿革的背景への考察なくしては到底理解し難い特殊な性質をもつ法律である。

三、法律制定の理由並びに「譲与」の意義について

法律第五十三号制定の根本的理由が政教分離の原則を宣明する新憲法(同法第二十条、第八十九条)の施行に伴い、社寺等に対する国有財産法の境内地無償貸付等従来国家と社寺等との間に結ばれていた沿革的、伝統的な財産上の特殊な関係を整理して(国家、宗教団体間の財産的な特殊関係としては、他に国有林野法による社寺保管林制度があるが、本件と無関係であるから、これはしばらく措く)、新憲法の要請に従い社寺等をして一般法人と同列の立場におくための善後措置を購じることにあること並びに同法律は国有境内地に関する上来縷述の沿革に鑑み、一定の条件(法律第一条所定)を具備する土地を、その上地者等である社寺等に「返還の意味」で譲与することをその趣旨とするものであること(半額売払の点については、後に説く)は、いずれも、原被告双方の指摘するとおりである。

しかるところ、原告は法律第一条に定める譲与は、社会的沿革的に実質的意味において上地者たる社寺等に国有境内地を「返還する義務」が国家に存し、返還することを相当とする関係にあるが故になされるもので、その性質は結局「旧所有権の返還」に外ならない「返還の意味」とはそれを指称すると主張し、これをむかえて、被告は譲与が返還の意味でなされるものであることに異論はないがあくまで新らたな措置として社寺等に譲与するということであつて、元来社寺等の所有に属しているものを国が保管しており、従つてその返還義務乃至は返還の相当性があるから、これを返還するというものではないと反駁し、いずれも後は論究する法律第一条(及び勅令第一条)該当の有無並びに勅令第二条に定める公益事由の存否についての各立論の前提とする。結局、法律の趣旨、建前についての争論であるが、それは、また、本法律の違憲性とも密接に関連する問題であるから、ここで一応集約的に考察を加えておくこととする。

さて、元来譲与とは無償で国以外のものに国有財産の所有権を移転することであり、民法にいわゆる贈与に相当する。それは、性質上一般的には私法上の契約であつて、その成立効果等については民法の贈与に関する規定等一般私法の適用を受けるが(東京高裁昭和三十年十一月二十五日判決高裁判例集八巻九号六百五十七頁)、本件で問題となる法律第五十三号の譲与のみは国有財産関係上その殆んど唯一の例外として行政処分とされ、一般私法の原則的適用は排除されている(法律第二条第二項、第六条。これは、本法律の持つ特殊性の一つであり、下叙する法律第一条にいう「譲与」の実質的な意義、内容に由来するものであろう)。しかし、いずれにしても、譲与はおよそ対価のない国有財産の処分行為であるから、財政法上の重大な例外をなす事項として、特別の理由がある場合に限り、法律上の根拠に基いて認められるものである(財政法第九条参照)。そして法律第五十三条に定める国有境内地の譲与は、明治初年の社寺上地、地租改正処分により無償で社寺等から取上げて国有に編入し、あるいは、元来社寺境内地とする目的でなされた国に対する寄附、寄附金による購入によつて国有となつた土地で(従つて、それはいずれも国または公共団体が国有化の端緒に当り、何等の経済的な負担も負わなかつたものである)、現に国有財産法によつて社寺等にその用に供する間永久無償の貸付がなされているいわゆる国有境内地の所有権を新憲法制定に伴う経過的善後的措置として一定の条件を具備する限り上地者あるいは寄附の対象たる社寺等にその沿革的理由から返還の意味で移転せしめようとするものであり、財政法上の例外たる譲与のなされる理由はここにある。そして同時に本法律が違憲でないと解される根拠も、そこに存するのである。別言すれば、法律は社寺境内地が社寺上地、地租改正処分によつて国有に帰する以前(即ち、旧幕時代及び明治初年)は、本来社寺の所有たる実質を備えていたことを前提として制定されたものである(国に対する寄附または寄附金による購入によつて国有地となつた境内地は、当該寄附が未だ政教分離の制の確立していなかつた旧憲法下において専ら社寺等の境内地とする意図でなされたものであり、従つてそれは本格的に社寺の所有に帰属すべきものであつた点において、社寺上地、地租改正処分による国有境内地と何等選ぶところはない。)勿論、旧幕時代における土地所有の観念並びにその形態については、説のわかれるところである。即ち、あるいは明治以前には土地は全て国有であつて人民は土地の所有権を有せず、ただその使用、収益権を有するに過ぎなかつたとし(明治十二年二月十七日司法省内訓、前顕甲第二号証百八十五頁、大審院大正七年五月二十四日判決民録千十頁)、あるいは民法施行以来の土所有者がその土地に対して有すると同様の総括的支配権を有していたとする(大審院昭和十二年五月十二日判決、民集十六巻十号五百八十五頁)。殊に社寺有の本質に関する研究には、なお今後に残された領域も決して少ないとはいえない。また、社寺等がその境内地に対しどのような権利を有していたか(即ち、その境内地がどのような性質を持つていたか)を統一的に把握することは困難であるかも知れない。

現に、本件係争の富士山八合目以上の土地についても、安永八年幕府より原告神社にあて「今般衆議之上定趣者富士山八合目より上者大宮持たるへし」との裁許が下されていることは当時者間に争いがないところ(なお、同裁許状写は甲第七号証の八として提出されている)、これを廻り、それは所有的意義における「持」を意味するのではなくして、原告神社にいわば管理権が存したことを根拠つけるに過ぎないとの見解も見られないでもないのである(成立に争いのない乙第一号証の二、第十九回国会衆議院行政監察委員会議録第二号十六頁二十一頁参考人和歌森太郎供述記載参照)。しかしながら、それは法制史的研究として勿論きわめて有意義な問題であることは否めないけれども、本件の究明には直接、密接の関係はない。けだし、法律に社寺等が社寺上地、地租改正処分以前即ち旧幕時代において、その境内につき民法にいう所有権に当るべき、いわば私有権―私法的(財産的)支配権を有していたことを前提として是認し、制定されたものに外ならないからである。法律第一条に定める「譲与」の意義を探究するには、それで充分である。そして、それは富士山八合目以上の土地についても、もとより同様である。しかして、かように元来社寺等の私有に属していた境内地が明治初年の社寺上地、地租改正処分の進展に伴い、漸次その幅をひろげて(その経過については、本項一の(一)参照)、強制的に無償で国有に編入せられたということは勿論それが明治維新下の政策遂行上必要であり、不可欠であつたことは理解に難くないところであるけれども、反面、社寺側にとつてはかなり酷な結果ともなり、その不満を買つて、本項一の(三)で見たいわゆる境内返還の要望をもたらし、幾多の経路を経て政府も、経局これを認め(なお、本項一の(二)参照)大正十年旧国有財産法の制定に際し、境内地の無償貸付を規定し(同法第二十四条)、実質的には返還と殆んど同一の効果を与える措置を採り、次いで宗教の保護、育成の見地から昭和十四年法によつて一定の条件を具備する境内地の譲与を定め、もつて右返還の要望に応え、多年の懸案を解決しようとしたのであつて(但し同法律が寺院境内地のみをその処分対象とするものであつたこと及び、その契機となつた境内地返還問題が境内地を中心として惹起されたことは前述のとおりである)、かかる沿革を閲した社寺等の国有境内地につき、宗教団体に対する特別の利益供与を禁止する新憲法の施行に伴い従前の無償関係を持続することが不可能となつたからといつて、ただ、漫然これが断絶を計ることは、沿革的な前叙私法的(財産的)支配権の存在を完全に無視することになるのみならず、反面、従来社寺等に認められていた永久、無償の使用権(一種の財産権であつて、政府も壇にこれを解除できず、また解除に際してはそれにより生じた損害の賠償を求めることができたと解される。旧国有財産法第十八条参照)を故なく奪うこととなり、その結果、社寺等の宗教活動に重大な支障を与え、ひいては、その存在すら危殆に瀕せしめることにもなりかねないので、社寺等の沿革的権利即ち明治初年の私有権を承認してさらにこれを高め、宗教的活動上必要なものに限り、その所有権を移転し、もつて境内地の維持、存続をはかり、新憲法下における社寺等の自立自営の物的基盤を固めようとするのが、法律第五十三号制定の趣旨、建前であり明治初年の土地に対する私有権―前顕大審院判決の言葉を借りれば、総括的支配権―が民法の施行に伴い、同施行法第三十六条により民法にいわゆる所有権の効力を有するに至つたこと(前掲大審院昭和十二年五月十二日判決参照)を思顧し併せれば、それは実質的には国で預り保管していた土地を社寺等に返還する処置としての作用を営むものとして構成されたものというべく、それ故にこそ、同法律は政教分離を宣明する新憲法下において、良くこれと牴触することなく、合憲たるの地位を保有し得るのである(最高裁判所昭和三十三年十二月二十四日大法廷判決最高裁判所判例集第十二巻第十六号三千三百五十二頁)。しかして、法律第二条に規定する随意契約をもつてする時価の半額売払は、叙上説示の如き沿革的権利がないか、もしくはそれがあつても証明できない国有境内地につきなされるものであり、専ら、従前の永久、無償の使用権断絶の補償的作用を営むことに、その合憲性の根拠を見出し得るのであるが、反面、本法律の経過的、善後措置的従つてまたいわばぬえ的性格を最も良く顕現するものといえよう。それは、本法律に潜在する蓋えない特質である。

ところで、被告が右譲与(または時価の半額をもつてする売払)は、新たな行政措置としてなされるものである。それはそのとおりである。もとより、その沿革的事由の如何はともあれ、一旦土地(境内地)が正当に国有に帰したものである以上、その処分が新らたな行政措置であることはいうまでもない。従つて、その限りにおいては、被告所論は正しい。しかし、該処分(譲与)が単に被告主張の如き趣旨での「返還の意味」を持つに止まらず、実質的、内容的に見て旧所有権の返還の処置たるの性格を備え(即ち、その作用を営む実質を有し)、且つそれを前提として本法律が制定されたものであることは、右に見たとおりである。原告所論を至当とする。

第四  法律第一条(及び勅令第一条)該当の有無

一、宗教活動上の必要性について

既に見たように、本件係争の土地即ち富士山八合目以上の土地が法律第一条に規定する譲与についての要件を具備するかどうかの問題(前記第二でその一として挙示した問題)としては、当時者双方の争点は専ら右土地全域が同法上にいう「その社寺等の宗教活動を行うのに必要なもの」に当るか否かに向けられ、且つ、これのみに局限せられている。しかして、右の「宗教活動を行うのに必要なもの」とは、具体的には同法第三条の委任を受けた勅令第一条第一項各号に掲げる物件(土地及び同地上の立木竹その他の定着物)をいうことは、右各法条の明文上分明であり、それは被告指摘のとおりであるが、進んで、右勅令第一条第一項各号の解釈と、本件係争土地の同条項各号のいずれかへの該当の有無の審究にわけ入るに先立ち、法律が本件譲与(並びに時価の半額売払)処分に関し、かような限定(要件)を劃している理由について先ず考えてみる。

ところで、法律第五十三号はその処分対象(譲与または時価の半額売払をなすべき国有財産)の範囲を一律に宗教活動上必要なものに限定し、処分の区別を沿革上の理由即ち社寺上地、地租改正処分等によつて国有となつた土地及び定著物であるかどうかに、求めているが、改正前の法律たる昭和十四年法はこれと全く趣を異にし、右述の沿革事由の存否如何にかかわりなく、現に国有財産法によつて無償貸付中の国有境内地は全て処分の対象とする態度を採り、そのうち、宗教活動上必要なものは譲与の、他は時価の半額売払の対象として規定している(なお、前法には譲与に関する同法第一条にも特に法律第一条第二条の如き「宗教活動を行うのに必要なもの」との字句は見当らないが、前法第一条の委任に基く昭和十四年勅令第八百九十二号第一条は勅令第百九十号第一条と全く同旨の規定であり、従つて、譲与の範囲が宗教活動上の必要の有無によつて劃されていたことは、推究に難くない)。しかして、このように両法律において処分対象の範図を区々にし、その把握の仕方に差異があるのは、ひとえに両者が立法の趣旨、目的を著るしく異にすることに由来する。これを詳言すれば、昭和十四年法は宗教団体の保護、育成を建前として制定されたものであるが故に、その沿革的事由の如何を問わず、無償貸付中の国有境内地は全て処分の対象(そのうち、宗教活動上必要なものは譲与)とすることが許されまたそれを当然としたのであるが、右前法の立法趣旨とは対蹠的に、新憲法施行に伴い確立された政教分離の原則を貫くために必要な経過措置、善後措置を購じることをもつてその根本的な制定理由とする法律第五十三号にあつては、社寺上地、地租改正処分等国有化に際しての沿革的事由のない境内地につき、これを譲与の対象とすることは右の政教分離の原則に照らし違憲の疑いが濃厚であつて許されず(従つて、それは永久無償使用権断絶の補償としての意味で、半額売払の対象とされる)また、専ら収益目的に供される土地等宗教固有の目的以外の用途に供されている士地(及びその定着物)迄も処分(譲与または時価の半額売払)の対象とすることは、それが本来当該社寺等の宗教活動と直接には無関係であり、その存否は必ずしも社寺等の存続に本質的にかかわりのないものであるから、これが処分を受ける社寺等に対し特別の利益を供与する結果となり、やはり政教分離の趣旨にそぐわないこととなることに基因するのである(このように両法律は立法趣旨並びに規定の内容を著るしく異にするが、反面、国有財産法によつて無償貸付中の国有境内地を処分するものであることは、両者何等変わるところがないので、法律第五十三号は新法律制定の形式を採らず、昭和十四年法を改正する形式で制定された。前掲甲第二号証百六十九頁参照)。

しかして、かかる立法の趣旨に鑑みれば、法律第一条第二条に規定する「宗教活動を行うのに必要なもの」とは、むしろ消極的意義において把握さるべきことは明らかである。即ち、それは元来収益財産等これを譲与または半額売払することによつて、社寺等に対し特別の利益供与をもたらす結果となる虞れのある土地(及びその定著物)を処分対象から排除する趣旨で付加、加重された要件であるから、狭義で、宗教活動上所有することが必要且つ不可欠のもののみに限られず、ひろく、当該社寺等の本来的使用、別言すれば、固有の宗教目的に供される土地(及びその定著物)をも包摂する趣旨のものとして解釈すべき筋合のものなのである。

以上のことは、次の考察によつても裏付けられる。即ち、既に考究した如く、法律第一条の定める譲与は、実質的に見て、返還の処置を講じるものに外ならないところ、「宗教活動を行うのに必要なもの」に当らないとの理由で譲与(さらには時価の半額売払)の対象から除外された国有境内地については、従前の永久無償使用権断絶の補償すら与えられないのであるから、元来いわば一種の財産権剥奪の結果とならざるを得ない筈である。しかし、反面、社寺等の国有境内地は、そもそも「其の用に供する間」に限り永久、無償の貸付が認められていたのであり(前掲旧国有財産法第二十四条第一、二項)、従つて、現に宗教目的以外の用途に供されている土地(及びその定著物)に限り、これを譲与(または時価の半額売払)の対象から除外し、もつてその使用権を奪つても格別当該社寺等に不利益を強要することにはならない訳合であるが(これが「宗教活動を行うのに必要」でないものが処分対象とならない消極的理由である)、翻つて、もし、「宗教活動を行うのに必要なもの」との要件を狭く、積極的に当該社寺の宗教活動にとつて必要且つ不可欠なもののみに限られると解するとすれば、先に詳述した明治初年の沿革的な権利についてはさておき、少くとも前記永久無償の使用権という一種の財産的権利を故なく、且つ何等の補償なくして侵害するものとの批難を免れ得ないことになるのである。その不当なことはいうまでもない。そして、法律がさような趣旨で右要件をおいたものとは到底考えられない。結局、「宗教活動を行うのに必要なもの」とは、収益財産等宗教目的外の使用地を除く趣意において、即ち、ひろく当該社寺等の本来の用に供する土地(及びその定著物)である限り、これに当るものとして解釈されなければならないのである。さらに、勅令第一条第一項第八号並びに同第二項が一般的には必ずしも宗教活動上直接に必要とは考えられない「公益事業のため使用する土地」(及びその定著物)をも処分の対象として規定していることも(それは少くとも社寺等の収益を目的とするものではないし、進んで、宗教的雰囲気のなかにおいて行なわれるという点で、宗教的活動を関連し、かなり広い意味での宗教目的のために供される土地ということもできよう)、法律第一条にいう「宗教活動を行うのに必要なもの」が如上詳述のように宗教活動上必要且つ不可欠なものに限られないことを窺わしめるに足る充分な根拠であらう。

さすれば、右要件を具体化した勅令第一条第一項各号は、上来説示の理趣に沿うように解釈されなければならない。

ところで、被告は元来信仰の対象はそれを所有しないからといつて信仰の対象にできない訳ではないから、原告神社もその御神体たる富士山八合目以上の土地を所有しなくともそれが存在する限り宗教活動が不可能乃至困難に陥ることはなく、従つて、右土地は「宗教活動を行うのに必要なもの」に当らないと主張する。なるほど、一般的にいつて、信仰の成立には、信仰の対象を信仰者自身が「所有」することを常に必要とするものではない。その限りでは、被告所論は正当である。そして、それはまた、すぐれて示唆に富む見解でもある。しかしながら、該見解は法律第一条にいう「宗教活動を行うのに必要なもの」とは厳格に宗教活動上必要且つ不可欠なもののみの謂であるとして把握する立場を前提とするものに外ならないと解されるところ、右論拠の採り得ないこと既に説示したとおりであるから、既にその点において被告主張にたやすく与みすることはできず、即ち、それのみをもつて直ちに富士山八合目以上の土地が宗教活動上必要なものに当らない根拠とすることはできない。

二、勅令第一条第一項各号の適用について、

既に説示したように、法律第一条並びに同第二条に規定する「社寺等の宗教活動を行うのに必要なもの」とは具体的には法律第三条の委任に基く勅令第一条第一項各号に定める物件(土地及びその定著物)をいうに外ならないところ、同条項の各号が掲げるものは、概活的に見て、主としていわゆる社寺等の境内地及びその附属地等に限られていることは法律第一条第一、二項に「社寺境内地処分審査会」なる文言が見え、また、宗教法人法第三条第二乃至第七号が境内地として勅令第一条第一項第一乃至第七号と同旨の文言で同様の物件を揚げ、定義していること等に徴し、明らかである。ところで、ここに境内地とはやはり社寺等が宗教教義をひろめ、健式、行事を行ない、信者を教化、育成する目的、即ち、約言すれば宗教目的のために、必要な当該社寺等に固有―本来あるべき性格―の土地をいうのであろう(宗教法人法第三条参照)。そうであれば、それは本質的に譲与を受くべき社寺等の宗教教義、宗風、伝統、慣習等と密接に関連するものである。そして、法律第五十三号はその実質において、社寺等に対する沿革的な権利の承認と、これが返還の処置を講じるものである反面、政教分離の建前上、社寺等の自立自営―詳言すれば、社寺等が新憲法で保障された信教の自由の基盤の上に立ち、各々独自の宗風、伝統を存続し、自主的な宗教活動を行うための物的基礎を確保せしめることを目的としている。さすれば、法律、勅令に定める譲与(または時価の半額売払)をすべき国有境内地の範囲即ちその種類と広狭は宗教教義、宗風、伝統、慣習等を各異別にする社寺等によつてそれぞれ異なることあるべきはむしろ当然であつて、勅令第一条第一項各号該当の有無は、結局当該土地の性質、形状、所在の地理的条件並びにこれを従前境内地としてきた社寺等の宗教目的、宗風、沿革、伝統、特性、慣習等から、いわゆる社会通念に従つて客観的に合理的な判断基準を求め、審究されなければならないのである。およそ、憲法で保障された信教の自由は全ての国政において尊重されなければならない(宗教法人法第一条第二項前段参照)。公租、公課の賦課徴収等に関し、境内建物、境内地その他の財産の範囲を決定する場合等にあつては、「宗教法人の宗教上の特性及び慣習を尊重し、信教の自由を妨げることがないように特に留意しなければならない(第八十四条)旨を宣明し、また、特に「この法律のいかなる規定も文部大臣、都道府県知事及び裁判所に対し、宗教団体における信仰、規律、慣習等宗教上の事項についていかなる形においても調停し、若しくは干渉する権限を与え……(略)……るものと解釈してはならない」(第八十五条)との解釈基準を明らかにする宗教法人法の右諸規定の趣意は、もとより本法律、勅令の解釈、適用に当つても充分参酌されなければならないであろう。

ところで、原告は、富士山八合目以上の土地はその全域が勅令第一条第一項第一号、第二号、第五号及び第七号のいずれにも該当すると主張し、その根拠を主として同土地が全一体として原告神社の御神体を形成し、信仰の対象となつていることに求めている。しかして、右係争土地が古来いわゆる神体山として富士信仰の対象となつていることは、当事者間に争いのない事実であり、また、原告神社の宗教的基盤即ち同神社がいわゆる神体山信仰に立脚する神社として、且つ、全国各地に散在する浅間神社のいわゆる根本本宮たるの地位にあるものとして、富士山そのもの、殊にその八合目以上を信仰の対象として奉斎することを宗教目的となし、その建前に立つて、右宗教教義に繋がる神社設備等を設け、且つ、究極において御神体たる富士山八合目以上の土地を基礎、中核とし、あるいは対象とする各種儀式、行事等を行つていることは、被告の明らかに争わないところであるから、これを自白したものと看做す。被告は、結局勅令第一条第一項各号に譲与を受け得べき物件として掲げられているものは、主として社寺等が祭典、法要、儀式、行事等の宗教活動を行うのに必要な物的施設を構成する土地に外ならず、原告神社の宗教教儀乃至はその主観的、便宜的立場からの独自の見解はともあれ、およそ物的施設を構成しない信仰の対象の如きものはそれに含まれないと主張して、富士山八合目以上の土地が右勅令第一条第一項各号のいずれにも該当しない論拠とするのである。原、被告双方が勅令第一条第一項該当の有無を廻り攻防する論争はかなり多岐にわたるが、その主張せんとする根本、骨子は、いずれも結局右に帰着するのである。

しかるところ、法律第一条及び第二条の定める譲与または時価の半額売払処分の対象の決定、即ち、勅令第一条第一項該当の有無を審究するに当つては、当該社寺等の宗教目的、宗風、沿革、伝統、特性、慣習等と、当該土地の性質、形状、地理的条件等との関連において、客観的且つ合理的に社会通念によつて判断されなければならないことは、前に見たとおりである。従つて、本件係争の富士山八合目以上の土地が勅令の右条項に該当するかどうか(また、もし該当するとすれば、それは何号に該当するのか)については、勿論、別に具体的な考察がなされなければならないことというまでもないが、被告の右主張は一面において、同条項該当の有無は本来宗教教義と関係なく考究さるべきであるとの論拠に立つてその主張を理由づけようとするかの如く解されなくもないところ、仮に、該論点を含むものとしても、その見解は失当であつて、当裁判所のにわかに左担し難いことは、右説示に照らし、既に明らかである。

ところで、法律、勅令による譲与(または時価の半額売払)処分に当り、従来その行政当局たる大蔵省において、前記「宗教活動を行うのに必要なもの」の解釈について多少ゆるやかな態度を採り、神体山の取扱についても勅令第一条第一項各号にはそのまま当て嵌まらないが、結局は第一号、第二号、第五号のいずれかに該当するものとして取り扱い、本件係争となつた富士山八合目以上の土地の処理に当つても、公益上国有存置の必要性が重視、論議され、神体山として原告神社の宗教活動上必要なものかどうかの点は殆んど顧慮されなかつたことは、被告の自認するところである。(それは、大蔵省並びに諮問機関たる社寺境内地処分中央審査会の委員中には、神体山が当該社寺等の「宗教活動を行うのに必要なもの」であることを当然として認め、むしろ、それが信仰の対象であることを宗教活動上の必要性を肯定する根拠とする論拠を採る傾向のものが存し、結果として、行政当局の右のような取扱となり、また、多少疑義が存し、論議せられた神体山への勅令第一条第一項各号の当て嵌めの問題も、結局第一号、第五号を含めた趣旨で第二号該当の土地として取扱うことに決定されたということなのである。前顕甲第二号証、二百四十二頁乃至二百四十五頁、二百六十三頁、その成立及び原本の存在につき争いのない甲第三号証の一乃至十四、同第四号証〔以上各号証はいずれも中央審査会に対する大蔵当局の諮問案写〕同第六号証の一乃至十四〔以上各号証はいずれも国有境内地の譲与許可書写〕、並びに、証人下村寿一、同井手成三、同有光次郎の各証言によつて、右認定の経緯を窺うことができる。証人三浦道義、同大沢実、同松永勇、同内田常雄の各証言中右認定に反する部分は、前掲各証拠と対比して、未だ当裁判所の心証を惹くに至らず、採用できない。なお、被告は、大蔵当局の行政事務処理上の前記の如き取扱いを自認するも、本件訴訟の提起に及び、従来の取扱いが妥当であつたかどうか再検討してみる必要があり、神体山は、法律、勅令にいう宗教活動上必要なものに該当しないと解することが、むしろ正しい法律解釈であると考えると主張するのである。)しかして、既に前段(本項の一)において詳細に考究した如く、法律第一条(並びに同第二条)に定める「宗教活動を行うのに必要なもの」とは、ひろく、当該社寺等の本来的使用、換言すれば、当該社寺等の固有の宗教目的のために供される土地(及びその定著物)の謂に外ならないと解されるところ、一般的且つ抽象的に見て、特段の事情のない限り元来いわゆる神体山として信仰の対象とせられる山岳その他の土地は、およそ当該社寺等の宗教教義、もしくは特性、慣習上右にいう宗教目的に供される土地に当ることが通常であることは、これを推認するに難くないから、当時大蔵当局の採つていた行政事務処理上の取扱いは右説示の趣旨に良く適合するものとして肯認せられ得べく、それは、優れた洞察に基く見解の発現として、高く評価されなければならないであろう。これを、本件について見れば、原告神社は係争にかかる富士山八合目以上の土地全域を宗教教義上その信仰の対象として当然収益財産その他のいわゆる宗教目的外の使用地とせず、現に、専ら宗教的、本来的な用途にのみ供していることは、その成立につき争いのない甲第五号証、鑑定証人原田敏明、証人岡田米夫(第一回)の各証言、原告神社代表者本人尋問の結果(第一、三回)並びに当裁判所の検証の結果(第一、二回)に徴して明らかにこれを認め得べく(該認定に牴触する証拠は何もない)、さすれば、具体的な勅令第一条第一項各号該当の有無についての考察はしばらく措き、右係争土地が前に説示した趣旨での「宗教活動を行うのに必要なもの」に当ることは明白である。従つて、顧みて、同土地の処理に際して右要件の存否については、さしたる顧慮のなされなかつたという前記行政上の取扱いは、それが意識的なものであるにせよ、そうでないにせよ、とまれ結果として、まことに適切なものであつたというべきである。しかのみならず、右土地は元来明治初年の社寺上地、地租改正処分によつて国有地となつた後、明治三十二年と昭和七年の両度にわたり前掲国有林野法第三条第三項に定める「其境内に必要なる風致、林野」に該当することを理由に原告神社の境内地に編入せられたものであるところ(このことは当事者間に争いがないこと既述のとおりである)該境内地編人に当り当然依拠せられたと見られる同法の準拠細則たる明治三十九年二月十七日農商務省内務省訓令林発第三号第二条第一項第一乃至第五号は勅令第一条第一項各号と殆んど同趣旨の規定であり、従つて、本件係争土地は右訓令(ひいては、それとほぼ同旨の勅令第一条第一項)に該当すると解されていたであろうと考えられる沿革的な事実にも、それは良く符合するものである。

それでは、富士山八合目以上の土地は、勅令第一条第一項各号のいずれに該当するのであろうか。

原告は、同条項第一号、第二号、第五号及び第七号のいずれにも該当すると主張する。しかしながら、その第一号は「本殿、拝殿、社務所、本堂、くり、会堂その他社寺等に必要な建物又は工作物の敷地に供する土地」と規定しており、明文上それは社寺等の宗教目的のために必要な当該社寺等固有の建物及び工作物の存在する一画の土地をいうことは多言を要せずして分明であるところ、本件係争土地は、同地上に存在する奥宮、久須志神社の各敷地及びそれに附随する一画の土地を除き、その全域としては、これに当らないことは前掲各証拠特に検証の結果(第二回)に徴し明らかである。尤も、原告は、その宗教教義上信仰の対象たる同土地はそれ自体神社施設を形成するものと考えても何等差支えないとの論拠に立つて、類推的に第一号該当を主張するのであるが、同号は右に見たように、当該社寺等の有する現実の建物又は工作物(宗教法人第三条第一号に定義する境内建物が概ねこれに当るであろう)の存在する一画の土地をいうに外ならず、もとより、当該建物又は工作物が社寺等本来の用に供するものとして必要であるかどうか、借例すれば、ある建物又は工作物を、必ずしも一定の形式を必要としない礼拝施設と見ることができるかどうか、あるいは納骨堂、集会所、信徒宿泊施設、能楽堂等で、当該社寺等の宗教目的に供されていると認むべきものの範囲の決定等に当つては、当然、当該社寺等の宗教教義、性格、伝統、宗風、由緒等との関連において判断されなけばならないであろうことは見易すき道理であるけれども、超えて、その宗教教義の如何はともあれ、同号の解釈上建物又は工作物の全く存立しない土地自体を建物又は工作物と同一視することの許されないことは多言をまたずして明らかであつて、原告の右主張は結局独自の見解に基くものというべく、にわかにこれに賛することはできない。

しかるところ、第二号は「宗教上の儀式又は行事を行うため必要な土地」と規定する。しかして、既述のように、富士山八合目以上の土地は古来いわゆる神体山として原告神社の信仰の対象とされ、同神社はこれを奉斎することをもつて宗教目的となし、その建前に立つて、該宗教教義に繋る神社設備を設け、且つ、究極において、御神体たる右係争土地を基礎、中核とし、あるいは対象として各種儀式、行事等を行つているものであるところ(前段は、当事者間に争いがなく、後段は被告において明らかに争わないから、これを自白したものと看做すべきこと前述のとおり)、前叙繰述の如き法律制定の目的、趣旨、沿革、さらには、法律第一条(並びに同第二条)に定める「宗教活動を行うのに必要なもの」との要件のおかれた理由、意義、従つて、それは、結局、狭義に宗教活動上所有することを必要且つ不可欠とするもののみに限られず、ひろく、当該社寺等の本来的使用即ち、固有の宗教目的に供される土地(及びその定着物)をも包摂する趣意のものとして解釈すべきこと等如上詳細に説示したところを前提として、その理解の下に原告神社の宗教教義、特性等との牽連において、比照考察すれば、かように、信仰の対象とせられている右土地はその全域が同神社の儀式並びに行事を行うために必要な土地であることは、社会通念に照らし明らかというべき筋合である(尤も、いわゆる神体山信仰が如何なるものであるかを一義的に分明ならしめることは、かなり因難である。けだし、それは諸々の特性、相、内容を有し、平板的に定義付けることは不可能に近いからである。本件についていえば、原告神社の宗教教義、沿革、特性、伝統等との関連において富士信仰の特異性も論じられなければならないであろう。しかしながら、少なくとも勅令第一条第一項各号該当の有無を審究するに当つては、右に述べたように、富士山八合目以上の土地が原告神社の信仰の対象とされ、宗教教義との関連上その儀式、行事の基礎、核心とせられていることの把握で必要且つ充分であり、従つて、当裁判所の判断を明らかにするのも、その限度内に止めるのが適当であろう)。ところで、被告は、第二号該当地は、結局古来当該社寺等が宗教教義の具体的表白行為としての儀式又は行事を行うのに必要な土地をいい、いわば手段的に利用されている土地であつて、端的にいえば、用地というに外ならないと主張する。確かに、傾聴すべき見解である。しかして、成立に争いのない乙第七号証(昭和二十二年十月十日歳国第一四九三号「昭和二十二年法律第五十三号の運用方針について」の通牒。及び、前掲甲第二号証二百十六頁乃至二百二十五頁、同甲号証の該部分は右通牒を転載したものである)によれば、大蔵省国有財産局長から各財務局長あて、第二号該当地は遙拝式、普山式、彼岸会、神嘗祭、奉納流鏑馬等を行うために用いられる土地がこれに当る旨引例説明した通牒を発していることが明らかであるところ、該通牒の右趣旨は、一見被告主張に沿うものの如くでもある。しかしながら、元来社寺等の本殿、拝殿、本堂及びこれに附随する土地等はそれ自体儀式、行事を行う最も主要な場所として、日常各種儀式、行事が継続、反覆して頻繁に行われるのが普通であること経験則に徴し明らかであるから、それらの敷地を、規定の主たる内容とする第一号該当地は、本来第二号に競合して該当する場合の多いであろうことは、至極当然である(ほかに、競合的に該当する場合としては、第六号に定める「社寺等の災害を防止するため直接必要な土地」で同時に第五号に定める「社寺等の尊厳を保持するため必要な土地」にも当る場合、第三号に定める「参道として必要な土地」で他の各号に定める土地に包含されて該当する場合等を例挙することができるであろう。即ち、勅令第一条第一項各号は相互に競合的に該当する場合の存することを、当然に前提とするものと解される。前記通牒三の11参照)。さすれば、第二号該当地のうち、建物又は工作物敷地(一画の土地)に含まれるものとして第一号に該当する土地を除けば、主として、彼岸会、神嘗祭、奉納流鏑馬等特殊な行事―しかも、一年に一、二回とか、数年に一回とかいう大行事がその大部分を占めると思われる―に充てられる場所等が第二号該当地として第一一義的に想定せられることになるであろうことは、見易き道理である(なお、前掲甲第二号証二百四頁参照)。前記通牒が前述のような引例、説明を加えているのも、そのためと理解される(前叙行政事務処理上の取扱に照らし、その通牒の趣旨が、信仰の対象たる土地を第二号該当地から排除する旨趣のものであつたとは考えられない)。しかるところ、原告神社はその宗教的基盤をいわゆる神体山信仰におき、全国各地に散在する浅間神社のいわゆる根本本宮たるの地位にあるものとして、富士山八合目以上の土地を信仰の対象として奉斎することをもつて宗教目的となし、その建前に立つて、右宗教教義に繋がる神社設備等を設けているものであるところ、(被告において明らかに争わないから、これを自白したものと看做すべきこと前叙のとおり)、同土地が建物又は工作物の敷地を定めた第一号に当らないことは、右に述べたとおりであるから、かかる土地については、その宗教教義との関連における特性上、当然いわば第一義的な意味で第二号に該当すると解すべき筋合であること社会通念に徴し明らかであつて、同号該当地は必ずしも手段的に用いられるいわゆる用地のみには限られないというべきである。従つて、被告の前記主張にはにわかに左担し難い。尤も、社寺等の境内地等は、間接的にはその殆んど全てが何等かの意味において儀式、行事と関係のある土地ということができる。従つて、第二号をあまりにひろく解するならば、各号に定める土地は、その殆んどが第二号に該当するという奇妙な結果となり、各号を設けた趣旨に明らかに背馳することとなる。さすれば、同号は儀式、行事のためにいわば間接的に必要な土地をも対象として規定せられたものと解し得ないことは当然である。しかしながら、さればといつて、それは勿論当該地上で儀式又は行事を行う土地即ちいわゆる用地にのみ限定して解釈すべき根拠とはならないし、他に格別そのように制限的に解すべき理由も見出し難いのである。

しかして、社寺等の宗教教義上、信仰の対象として奉斎せられている土地であつても、その形状、おかれた地理的条件、沿革等の観点から―勿論、当該社寺等の宗教目的、特性、宗風、伝統さらには、その由緒、格式等との関連において比照考察して―前記第五号、第七号に競合的に該当するものも存するであろう。(法律第五十三号の実施に当り、行政事務処理上いわゆる神体山もしくは神体山的性格を有する土地、池等につき、第五号該当地あるいは第七号該当地として取扱われた事例は次のようなものがある。第五号該当地として二荒山神社、砥鹿神社、葉山神社、加蘇山神社、御上神社、第七号該当地として枚岡神社、白山社、池神社等。なお、大神神社、白山比咩神社、大物忌神社、湯殿山神社、月山神社等は、いずれも第二号該当地として譲与を受けている。以上のことは、前掲甲第三号証の一乃至十三によつて認めることができる。)そして、原告は右両号該当も主張していること前述のとおりである。しかしながら、該主張につきさらに案ずるまでもなく、富士山八合目以上の土地が第二号に該当することは上来説示のとおりであるから、同係争土地が法律第一条にいう「宗教活動を行うのに必要なもの」に当り、従つて、前叙第二「問題の所在」で示した争いのない他の二要件の存在とあいまつて、同条に規定する各要件をいずれも充足していることは、既に明白である。よつて、その余の原告主張並びにこれに対する被告の反駁についての判断は、全てこれを省略する。

第五、勅令第二条に定める公益上国有存置すべき必要性の存否

本係係争にかかる富士山八合目以上の土地が、その全域一体として法律第一条第一項に規定する各要件をいずれも具備するものであることは、叙上詳細に見たとおりである。しかして、同条項は、その定める各要件を充足する国有境内地は、社寺等の法律施行後一年以内の申請に基き、「主務大臣がこれをその社寺等に譲与することができる」と規定しているところ、同規定の該文言は結局主務大臣に処分権能を附与する趣旨を顕わしたものであり、その処分はいわゆる覊束裁量処分に外ならないことは原被告双方の主張に不一致、対立の存しないところであり、当裁判所もまた、法律制定の趣旨、目的、同法律及び国有財産関係の法律の諸規定、右譲与処分の性質等に照らし、右所説を正当な解釈によるものとして、支持すべきであると考える。しかるところ、勅令第二条は、「法第一条第一項及び法第二条第一項に規定する国有財産で、国土保安その他公益上又は森林経営上国において特に必要性があると認めるものは、国有として存置し、前項の規定にかかわらず、譲与又は売払をしないと定めているところ、被告はこれをふまえて、係争の富士山八合目以上の土地については、既に譲与処分を経由した部分を除き、国民感情並びに文化、観光その他の観点から、右規定にいう公益上国有として存置すべき必要性があるとの論拠に立つて、同係争土地(既に譲与した部分を除く)を原告神社に譲与することはできない旨主張するので、進んで、該論点につき審究する。

一、勅令第二条に定める「公益上」の必要性の意義について

勅令第二条に規定する国有存置すべき「国土保安その他公益上」の必要性の意義について、被告は、同規定は勅令第一条第一項とともに、結局、積極、消極の両面から譲与(並びに時価の半額売払)の対象範囲を限定する趣旨の規定であつて、それは、処分の例外を定めた規定ではなく、単に譲与並びに時価の半額売払を抑制するための規定に過ぎないから、返還義務のあるものを返還しないというが如く、いわば財産権を剥奪し、あるいは制限する趣旨の規定とは本質的に異なり、その定める公益上の必要性を特に厳格に解釈しなければならないということはないと主張し、もつて、本件係争の富士山八合目以上の土地(既に譲与した部分を除く)につき国民感情、文化、観光その他の観点から国有存置すべき公益事由が存在するとの立論の論拠、前提とするところ、これにこたえて、原告は、勅令第二条は、「法第一条第一項及び法第二条第一項に規定する国有財産」は元来国家に実質的意義において返還の義務が存し、少なくとも、返還することを相当とする関係があるのに、公益上等の必要性がある場合に限つて返還しないとする趣旨即ち、別言すれば譲与(または時価の半額売払)の例外的措置を定めた趣旨の規定であるから、同規定は当然厳格に解釈すべく、結局明白且つ具体的な必要性のある公益理由の存する場合にのみ、国有として存置することが許されるものと理解すべきであつて、被告主張の如き国民感情その他の事由をもつてしては、未だ本件譲与を拒否すべき正当な理由とはなし難いと抗争するのである。この原被告双方に見られる法律的見解の鋭い対立は、まさしく、法律制定の趣旨、目的さらにはその沿革的背景に対する把握の仕方の差異に直接、且つ、深く由来するものと考えられる。そこで、進んで、具体的に富士山八合目以上の土地(但し、既に譲与した部分を除く)に関する被告主張の国民感情、文化、観光その他の観点からの国有存置を必要とする公益理由の存否についての審理、判断にわけ入るに先立ち、先ず、勅令第二条にいう「国土保安その他公益上……(略)……特に必要」との意義について論究する。

しかして、当裁判所は次に説示する諸理由から、同条に定める国有存置は明白且つ具体的な公益上の必要性ある場合に限り許されると指摘する原告所論は、究竟において支持すべき至当な解釈態度に立つものとして、結局これに賛したいと考えるのである。即ち、

(一)  法律第五十三号は、既に詳細に見たように、新憲法の施行に伴い、その宣明、確立する政教分離の制の建前上、爾後の社寺等の自立自営、即ち、社寺等が同じく新憲法で保障された信教の自由の基盤に立ち、自主的な宗教活動を行うに必要な、的基礎を確保せしめるべく、原則的に、従前の境内地の維持、存続をはかることを目的とするものである反面、実質的、内容的には、明治初年の社寺上地、地租改正処分以前における社寺等の沿革的な権利、あるいは、その後の寄附または寄附金による購入を契機として生じた社寺等のいわば一種の期待的な権利を是認し、それを前提として、即ち、別言すれば、国有境内地はその生立ち上元来社寺等の所有に帰属せしめられても何等差支えなかつたのに、これをいわば国で預り、保管していたものとして、社寺等に返還する処置を講じたものと理解されるのであるから、そもそも勅令第二条は、実質的、機能的には、国土保安その他の公益等の要請から、法律第一条に定める譲与、いい換えれば、返還の処置を講じることを特に排除する趣旨のいわゆる例外的規定であつて、その作用を営む実質的意義を有するものに外ならないのである(前摘原告所論は結局その趣旨において、これに沿うものであり、優れた法律的見解の開示として高く評価さるべきであろう)。なお附言するに、法律第二条に定める随意契約をもつてする時価の半額売払は、元来、沿革的権利の存在を前提とせず、従つて、従前の永久、無償の使用権断絶の補償的な性質のみを有すると一応考えられ、また、専らその点にのみ合憲性の根拠を見出し得るのであるが、翻えつて、さらに深く探つて見ると、明治初年以降の長年月の経過によつて、かような沿革的な権利の存在したことを立証すべき賞料が紛失し、あるいは戦災等によつてそれが焼失、滅失したことに原因する証明の困難乃至不可能化に対処する救済的な配慮も存したであろうことは、容易に推究し得るところであるから、いわば、ぬえ的であるとか、乃至は、非科学的であるとかの一応の批判はあり得るとしても、やはり、一面においては、時価の半額売払の場合にあつても、実際には、右の返還の処置たるの性質を必ずしも全く具有しない訳でもなく、従つて、右に述べたが如く勅令第二条が結局返還の処置に対する止むを得ざる例外を定めた規定であるということも、この場合にも、決して当嵌まらないことが明白であるとたやすくいい得る訳合のものでもないのである。

しかのみならず、その点はしばらく措くも、勅令第二条に該当することを理由に譲与(さらには時価の半額売払)の対象から除外される国有境内地は、政教分離の建前上、当然爾後の無償貸付は許容されないのであるから(法律第九条によつて、前掲旧国有財産法第五条第三号、第二十四条は削除された)、あえて、これを境内地として維持、存続せしめ、従来同様の使用に供するためには、国有財産法の一般原則による時価売払または有償貸付を受ける外方途なく、しからざる限りは、よしや現に宗教活動上必要且つ不可欠の土地であつても、結局引渡さざるを得ないのであつて(公益上の必要性が存する以上、引渡しを要請せられるのがおそらく通常であろう)、しかも、いずれにしても、事実上、それまで享有してきた永久、無償の貸付を受け得べき一種の財産的権利乃至地位は公益上の理由から剥奪され、且つ、その断絶に対する補償すら与えられない結果とならざるを得ず、即ち、等しく「宗教活動を行うのに必要」な土地でありながら、これが譲与(もしくは、時価の半額売払)を受ける社寺等に比し、国有として存置を余儀なくされる社寺等のそれがために蒙るべき不利益は甚だ著るしいばかりか、時として、当該社寺等の宗教活動が不可能乃至困難に陥り、ひいては、その存立すら危殆に瀕せしめられる場合も存するであろうことは、推認に難くなく、さすれば、勅令第二条は当然これを厳格に解釈すべき筋合であつて、結局同条に規定する公益上の必要性は、現に存在する明白且つ具体的な公益事由に基くものに限られると解すべきは、条理上あまりにも明らかというべきである。

(二)  勅令第一条第一項第八号は、「その社寺において現に公益事業のため、使用する土地」(及び同第九号によつてその定著物)を、また、同条第二項は「その社寺等の所属教派若しくは宗派、その社寺等の主管者又はその社寺等が主宰する財団法人」が経営し、且つ、「その社寺等の経営に準ずるものと認められる」公益事業のため、「現に使用する土地(及びその定著物)」を、それぞれ社寺等に譲与または時価の半額売払すべき対象の一として掲げ、規定している。しかして、右規定に見られる公益事業とは、広義に慈善、学術、技芸等の広く社会一般の利益(但し、それは、単純に私益の総和をいうのではない)のために遂行され、何人といえども、常にこれを利用し得る性質のものである反面、勿論、社寺等の収益を目的とするものでない事業を指称するものと解されるところ、かようないわば広汎な意味での公益目的に供される土地(及びその定着物)をも処分対策に包摂してなされる譲与または時価の半額売払を、さらに公益的見地から制限しようとする勅令第二条に定める「公益上」の必要は、当然、国家的な立場からのより厳しい意味が附されたものとして厳格に解釈すべきであり、即ち、同条に規定する国有存置は、公益上国自身が管理するのでなければ、その目的が達し得られない必要性が存在する場合に限り許容されるものと解すべきは、叙上説示に照らし、まことに見易き道理であるばかりか、それは、「公益上……(略)……国において特に必要があると認める……」と規定する同条の文意にも、良く適合するのである。

(三)  勅令第二条は、国有存置の要件として、「国土保安その他公益上」の必要の外に、「森林経営上」の必要を掲げ、規定しているところ、林道、軌道の如く、国有林の経営上譲与(または時価の半額売払)の対象たる土地を使用する必要が存する場合等の謂である右森林経営上の必要は、元来公益上の必要を広義なものとして把握すれば、当然これに包含せられるものとして解されるべき筈のものであるのに、殊更に、両者異別に対置して規定せられているのであるから、同条に定める「公益上」の必要は、本来しかく、広汎な内容を持つものでないことが予定せられていたものというべく、しかも、かかる公益上の必要のなかでも、「特に必要がある」場合に限り国有存置が許されること、明文上分明である。叙上の点を指摘する原告所論は正当である。かくて、以上詳細に論究した諸理由によつて、当裁判所は、勅令第二条に定める国有存置は、結局、国家において自らこれを管理すべき明白且つ具体的な公益上の必要性のある場合に、いわば例外的措置として、なさるべきものである。またかかる必要性の存在する場合に限つて許容されるものと解するのが、同条解釈上適当と考えるのである。よつて、この前提に立つて、進んで、具体的に、本件係争の富士山八合目以上の土地(但し、既に譲与した部分は除かれる)につき、右説示の趣旨での国有として存置すべき公益上の必要が存するかどうかについて、審案する。

二、国有存置すべき公益上の必要性の存否について、

被告が、本件係争にかかる富士山八合目以上の土地(既に譲与した部分は除く)について、現に存在する国有存置の公益上の理由として指摘し、主張する論拠は、大別して、いわゆる国民感情の見地からのそれと、文化、観光その他の関係におけるそれとの二である。

そこで、以下右各論点を分説して、これに判断を加えることとする。

(一)  いわゆる「国民感情論」について

富士山が我が国における唯一、無比の高山であり、比類なく優美、秀麗な偉容を持つ山であるところから、古来我が国民一般によつて深く敬慕され、日本国土の象徴的存在として、内外の憧憬、渇仰の的とされ、ひいては、広く国民の間に、富士山は日本国民総てに共通の文化的財産であると観念する意識ないしは感情の存在することは、周知の事実である。しかるところ、被告はこれをふまえて、かかる国民一般の持つ感情は、やはり、国民が共通して有する利益として無視することはできず、その絶対的であることに思いを致し、これに法律制定の目的、精神及び富士山の神体山的性格の弱化していることを併せ考えれば、右のような国民感情は勅令第二条にいう公益に充分包含され得るものであると主張するのである(原告は、これをむかえて、富士山が国民の敬愛、憧憬の対象だからといつて、直ちに、国民が法律的な意味での所有権関係を特に意識し、または希望していると考えるのは、飛躍的に過ぎる。叙上の如き国民感情は、およそ富士山の法律上の所有権が何人に属するかには本来かかわりなく存立するものであると抗論する)。しかしながら、かような国民感情(ないしは意識)といつたものが―それが国民一般の持つ利益として、国政上尊重されなければならないことは、いうまでもないが、超えて―一般的に、法律上保護さるべき利益として評価され得るものであるかどうか、また、この国民の間に広く存在する感情(もしくは意識)が、富士山八合目以上の土地の法律上の所有権の帰属に、直接、密接に由来するものであるかどうか等についての仔細な考察はさておき、かかる国民感情ないしは意識が存在することをもつて、直ちに、富士山八合目以上の土地につき、勅令第二条に定める国有存置すべき理由としての公益上の必要が存するといい得ないことは、前段において当裁判所の試みた詳細な考察に照らし、既に明らかというべきであろう。けだし、約言すれば、法律制定の趣旨、目的、並びに、同条及び勅令第一条第一項第八号、第二項の明文上の文意、相互の関連等に徴し、勅令第二条の国有存置は法律第五十三号の目的とする譲与または時価の半額売払に対する例外的措置を定めたものとして、結局、国家において自らこれを管理すべき明白且つ具体的な公益上の必要性が現に存在する場合に限り、なさるべきものと解すべき筋合たること前叙説示のとおりであるところ、国民の感情ないしは意識といつたが如き抽象的なものが、右述の趣旨での公益上国有存置の事由に当らないことは、多言を要せずして分明だからである(なお、以上のような富士山に対する国民感情は、係争にかかる八合目以上のうちの未譲与の部分についてのみ限定的に存立するとは考えられないから、もし、国民感情の存在が勅令第二条の公益上の必要に当るとすれば、一部既に譲与した被告の処分は、その範囲で違法というべく、即ち、被告の前掲見解は、自ら既になした譲与処分と明らかに矛盾し、且つ、その部分を除き立論するのは、首尾一貫しないと論難する原告の所説は、一面においては、やはり被告所論の痛点を鋭く衝くものといえよう)。

ところで、被告は、法律の目的、精神について併せ考量すべきことを繰々主張する。しかし、既叙一の(一)において詳細に見たように、法律の趣旨、目的、及びその精神は、かえつて勅令第二条に規定する国有存置事由たる公益上の必要性を厳格に、即ち、いわば限定的に解釈することを適当たらしめる有力な裏付けとなり得るものであつても、この公益上の必要性を被告のいう如く程度の低いものであつても差し差えないと解し、それを論拠、前提として、絶対性を持つ前記国民感情がこれに該当するに充分の利益性を有すると把握することの根拠とは、到底なし難いことは明らかであるから、被告の引拠所論にたやすく従うことはできない。また、被告は、富士山のいわゆる神体山的性格の弱化を鋭く指摘する。なるほど、富士山八合目以上の土地が、現在、いわゆる信仰の場としてよりも、むしろ、行楽、観光の場として、広く国民の間にいわば国立公園的な利用に供されていることは、検証の結果(第二回)に徴し、認め得られるところであり、原告神社の宗教教義上の立場とは別に、これをして、被告のいう神体山的性格の弱化ないしは稀薄化と見ても良いかも知れない(公益上国有存置を必要とする事由の審究に当つては、法律第一条の「宗教活動を行うのに必要なもの」の論究とは異なり、当該社寺等の宗教教義との関連とは離れて、別個の観点から客観的に考案されなければならないことは、いうまでもない)。けれども、元来、神体山的性格の弱化ないしは稀薄化といつたものは、事柄の性質上、公益上の必要性の有無とは本来無関係であるべさものである。けだし、神体山的性格のきわめて強度の土地であつても、あるいは国民感情といつたが如きものが生じ、あるいは他の公益上の強い要請から、勅令第二条に定める国有存置をすべき必要性の存する場合も当然想定し得る反面、翻えつて、神体山的性格のいわゆる弱化、稀薄化が著るしく認められても、それが直ちに、国民感情その他の点から公益上国有存置の必要性を招来せしめる訳合のものでもないからである(但し、勿論かような神体山的性格の弱化、稀薄化の契機、素因もしくはその内容と見られる富士山八合目以上の土地が現に広く国立公園的な利用に供されているといつたが如き事柄が、勅令第二条に規定する公益上の国有存置事由に当るかどうかということは、また別個に考察さるべき問題であり、それについては、次の(二)の(1)において審案するとおりである)。しかのみならず、よしやこれを加えて考えて見ても、叙上した如き国民感情ないしは意識が、直ちに国家において自ら管理すべき明白且つ具体的な公益事由として、勅令第二条に定める国有存置の理由に当るとたやすく解し難いことは、多言を費すまでもなく、明らかというべき筋合である。被告所論は、当を得ない。

(二)  文化、観光その他の関係について

被告は、係争にかかる富士山八合目以上の土地(但し、既に譲与した部分は除く)は、その全体として文化、観光その他の関係において公益上国有として存置すべき必要性が存するので、これを譲与しなかつた被告東海財務局長の本件行政処分は、この観点からも、正当である旨主張する。よつて、以下には、先ず、被告の個別的な指摘の順序に従い、各省庁所管の関係ごとに分説して審案し、次いで、これを綜合して、右係争土地全域に国家において自ら管理すべき明白且つ具体的な公益上の必要性が存するかどうかについて審究する。

(1) 厚生省関係

(イ) 厚生省の計画について

被告は、富士山は富士箱根伊豆国立公園の核心的存在として、現在自然公園法第十七条に定める特別地域に指定されているが、厚生省においては、さらに、同山を同法第十八条に規定する特別保護地区に指定し、あわせて、利用面の必要から、諸施設を集団的に整備するため、同法第二十三条に基き、集団施設地区に指定すべく、予定、計画中である旨主張する。よつて審案するに、いずれも成立に争いのない乙第三号証の一(発国第二二号昭和二十六年十二月十一日附厚生大臣発大蔵大臣あての「富士山頂国有地所管換について」と題する書面)及び同号証の二(厚生省発国第二七号昭和三十二年四月二十三日附厚生事務次官発大蔵事務次官あて「富士山頂国有地所管換について」と題する書面)、同第八号証の一(地理調査所作成にかかる昭和三十年四月三十日発行「富士箱根伊豆国立公園其一」と題する地図)及び同号証の二(「富士山頂施設計画図」と題する図面)、同第十号証(国審第四号昭和二十八年三月五日附国立公園審議会会長発大蔵大臣あて「富士山頂国有地処分に関する意見書」と題する書面)前掲乙第一号証の一(但し、森本証人供述記載部分、二十八頁以下)、証人中西哲郎の証言、並びに、検証の結果(第二回)を綜合すると、富士山頂八合目以上の地域は、富士箱根伊豆国立公園の中核的存在として、国立公園の保護及び利用上きわめて重要な地位を占めているところ、宿泊、休憩施設、救急施設、便所等の諸設備は未だ不充分であつて、利用面のみからいえば、年々増加の一途をたどる登山者、内外の観光客等に対し、不便、不快の念を与える虞れも少くない状態にあること、そこで、厚生省は保護面としては、現在富士山頂部を含め、大略二合目位(以上但し、青木カ原の樹海等を含む)を国立公園計画上風致維持の必要から、昭和三十二年法律第百六十一号自然公園法第十七条に定める特別地域に指定しているが、さらに、その厳正な景観の保護を図るため、大略五合目位以上を同法第十八条に規定する特別保護地区として指定するべく準備中であり、他面、公園の利用面としては、登山者にとり必要最少限度の基本的公共施設、即ち、登山道、管理、救急、宿泊、休憩、展望等の諸旅設、便所等の整備、運営を国立公園計画に基く国立公園事業として企画し、これが遂行に当つては、右諸施設を集団的に整備するため、同山頂を同法第二十三条に基き集団施設地区として指定するべく計画がなされていること、しかして、かような保護、利用の諸計画を統一的に推進するために、最も適切、且つ効率的な方法として、昭和六年法律第三十六号旧国立公園法施行令第十四条の趣旨に則り厚生省から大蔵省に対し、数次にわたり、富士山八合目以上の土地の所管換の協議がなされ、あわせて、法律第五十三号の運用を廻り、同土地の国有存置の意見が提出されていることを認めることができ、該各認定に反する証拠は何もない。しかしながら、成立に争いのない甲第十八号証(公文記第九号昭和三二年八月二七日文化財保護委員会事務局長発大蔵省管財局長あて「富士山頂集団施設地区計画案について」と題する書面)によれば、文化財保護委員会は、叙上富士山頂集団施設地区指定についての計画案に関し、後述のように、特別名勝としての指定も受けている富士山(大略五合目位以上の全地域及び五合目に至るまでの富士吉田口登山道、船津口登山道の両側各々百米その他の地域が指定を受けており、その詳細は、後記(3)に認定のとおり)の保護、管理、活用を任務とする立場上、その観点から、昭和三〇年七月七日附国発第二三四号をもつて厚生省国立公園部より協議を受けたのに対し、「富士山八合目以上を集団施設地区とすることは、賛成しがたい。特に頂上については、できる限り現在以上人工を加えることを避け、自然の景観を維持すべきであると考える。したがつて安全と清潔を保つに必要な最少限度の施設に止めるような考慮されたい」との回答を発していることを認めることができ、該事実に、前顕中西哲郎、証人細川可賀、同田村剛(但し一部)の各証言を併せ徴すると、厚生省の集団施設地区の計画については、これが計画決定並びにその実現までには、未だ関係各省との協議、調整を要し、なお、紆余曲折を経るべき可能性も一応は存し(昭和二十五年法律第二百十四号文化財保護法第八十条、第九十一条等参照)、現在直ちに実施するに充分の明白性、具体性を持ち得るに至つているとはいい難い事情も存在しないではないことを窺知し得るのみならず、元来、現行の自然公園法上国立公園についてはアメリカ、カナダ、メキシコその他の諸外国一般の立法例とは異なり、イギリス、西ドイツ等と同様いわゆる国有地主義の原則を採用せず、私有地を私有地のまま公園に編入する途を残す反面、所有権、鉱業権その他の財産権の尊重及び他の公益との調整への留意の上に立つて、諸般の面で各種の厳格な規制を加えるという制度を採つていることは同法の諸規定に徴し分明であるから、富士山八合目以上の土地を国有として存置し、さらには、所管換によつて厚生省所管の公共用財産とすることが国立公園の保護、管理の行政運営上最も便宜であり、また、それが適切且つ効率的な方法であることは、以上に掲げた各証拠に照らし、容易に窺い得るところであるけれども、超えて、前叙認定の事実、即ち、右係争土地が特別地域に指定されていること、あるいは、特別保護地区及び集団施設地区指定の計画があること等の国立公園行政上の現に存する諸事由をもつてしては、未だ国家において自ら管理すべき明白且つ具体的な公益上の必要性があるということはできず、従つて叙上の観点から勅令第二条に定める公益上国有存置の必要があると主張する被告所論は結局失当である。

(ロ) 厚生省の既存施設について

尤も、いずれも成立に争いのない甲第十四号証の一(東師経営第一四四号昭和二十年二月二十七日附東京師団経理部長発官弊大社浅間神社宮司あて「境内地使用承認願」と題する書面)、二(東師経営第一四三号昭和二十年二月二十七日附東京師団経理部長発静岡県知事あて「境内地使用願」と題する書面)、及び三(昭和二十年三月三十日立案社務所発東京師団経理部長あての記載のある「許可指令送付の件」と題する書理)、前顕中西哲郎、証人森岡嘉昼の各証言、原告神社代表者本人尋問の結果(第一回)、並びに検証の結果(第二回)を合わせると、富士山頂のいわゆる西安の河原に存する元陸軍軍医学校衛生学教室富士山分業室の建物(建坪八十八坪二合)は、元来航空衛生研究等の目的で昭和十二、三年頃陸軍によつて建築され、爾来その敷地百坪の使用に関し、期間を定めて東京師団より原告神社(当時官弊大社浅間神社)に対し境内地の「使用承認願」を提出する方法によつて、協議の上、その使用が継続せられてきたものであるが、終戦後は一旦気象庁がこれを引継ぎ、その用に供し、次いで、昭和三十一年七月頃、大蔵省の仲介を得て厚生省において所管換えを受け、同建物を利用して前認定の計画の一環として富士山頂地区管理休憩舎を開設し、現に、同省所管の業務たる国立公園の保護、管理等の経営目的に従い、一般登山者に対する管理、救急、休憩等の用途に供し、あわせて、所管換えの際の気象庁との約束に則り、同庁関係の観測ないしは後掲測候所内の機械据付、取替、修繕等のための人夫宿泊施設等の要望を充足せしめていることを認めることができるところ、叙上の如き用途に専ら使用されている同建物の敷地(並びに、これに附随して業務達成上必要と考えられる範囲の一画の土地)は、当然、明白且つ具体的な公益上の要請にかかる土地として国家において自らこれを管理すべき必要があり、従つて、厚生省の前叙綜合的な計画の存在とは一応離れて、右に示した範囲内の土地に限り、部分的に、勅令第二条によつて国有存置の対象とせられるのが相当であろう。しかしながら、右叙指摘のように、元来建物を使用して何等かの業務を遂行する以上、目的たる業務を充全に達成するためには、勿論、該建物の敷地(床面積)に当る部分のみならず、同建物に附随し、あるいは囲繞する何程かの地積の土地は当然必要且つ不可欠なものとして要請せられるであろうことは、あえてここに多言を費すまでもなく明らかであるけれども、反面、その必要とせらるべき土地の範囲及び形状等は、当該建物の存立する地理的条件、業務の種類、性格、内容、特殊性等に深く立入り、これを考量して慎重に決定されなければならないものであるところ、これが地積はもとより、その区劃、形状等については、本件に顕われた全証拠資料を綜覧するも、未だ、全くこれを把握し得るに至らず、即ち、被告はこの点の必要な立証を尽さないというべきであるから、進んで、右建物を囲繞して(あるいは、これに附随して)公益上必要とせらるべき範囲の土地を証拠上特定して明確に捉えることはできず、さすれば、結局、明白且つ具体的な公益上の必要性が現存することが分明であり、従つて国有として存置せらるべき土地は、前叙富士山頂地区管理休憩舎の敷地(床面積)に当る八十八坪二合の土地に限られることにならざるを得ない筋合である。なお、附言するに、前叙昭和十二、三年頃の貸借当時約定せられた敷地百坪は、前掲各証拠に徴し、むしろ、漠然と百坪として定められたもので、爾来、必ずしもこれにとらわれず、建物周辺の土地が、必要に応じ、その都度、適宜使用に供せられてきたことを窺知し得、本件に顕出の全証拠によるも、その区劃、形状等を特定して明らかならしめることはできないばかりか、現在では、既に当時とは建物利用の目的、形態も全く相違するに至つているのであるから、富士山頂の地形乃至は地理的条件の特殊性をも考慮すれば、これのみを判断の基準として、直ちに結論を導くことの誤りであることは、多言を要せずして明瞭であろう。また、現に公益目的に供されている建物が一少部分に存在することをもつて、既に譲与した部分を除く富士山八合目以上の土地全域を国有存置すべき公益理由とすることのできないことは、いうまでもない(この点に関しては、後述参照)。

(2) 運輸省関係

(イ) 海上保安庁の計画について

被告は、海上保安庁の計画として、富士山頂に、その具備する諸般の特殊的条件から、天文観測、磁気観測の観測施設等を設備する計画が存し、それ等の建築敷地等用地に九千八百五十坪の土地が予定せられている旨主張するので案ずるに、成立に争いのない乙第四号証の一(官会第一四八号昭和二十八年一月三十日附運輸事務次官発大蔵事務次官あて「富士山八合目以上における公用財産として必要な土地について〔対蔵官第一三八号〕」と題する書面)、及び二(官会第三一一号昭和二十八年三月二十四日運輸事務次官発大蔵事務次官あて「富士山八合目以上における公用財産として必要な土地について〔対蔵官第一三八号〕」と題する書面によれば、昭和二十八年頃当時において、同庁水路部が主体となつて被告主張の如き趣旨の計画を樹立し、大蔵省に対して該計画遂行のために必要な前記土地についての所管換えの要望を提出したことも存することを認めることができるけれども、証人押金武夫の証言に徴すれば、近時航空機による地磁気観測等の技術の進歩により、高額の費用を要する右計画は、その必要性が薄らぎ、一応、中絶せられていることを窺知し得るので、該計画の存在が、勅令第二条に定める公益上国有存置の事由に当らないことは、既に明らかである。

しかしながら、ここで一歩進んで、同庁の富士山八合目以上の土地に対するその他の利用計画の有無について、探つて見る。右押金の証言、並びに、検証の結果(第二回)によれば、同庁は現在通信のための専用有線回線の使用料として年間二億七千万円の多額を電々公社に支払い、通話制限その他の不便を甘受せざるを得ない状況に置かれているところ、海上保安業務の有機的遂行のため通信網の拡充、整備を図る上において、将来既設の専用有線回線のうち、幹線を自営の無線多重回線に置き換え、併せて、船艇の超短波多重化を行うべく、富士山頂に中継所を設ける超短波通信網の計画を検討中であり、右計画に際しては、通信用局舎用地三百坪位、空中線設備等(パラポラアンテナ)七百坪位、配電線ケーブル等敷地二千坪位等合計約三千坪の用地が必要として予定されているが、しかし、反面、その設置場所、箇数等はいまなお未定であり、しかも、現在、先ずその他の焦眉の諸施設等の整備、拡充をはかり、次いで、より望ましい段階として、右計画の実現に移るべく企図し、未だ、大蔵省に対しても所管換えの要望の提出はなく、また、関係のある厚生省、文化財保護委員会等との協調もなされていない現況にあることを認めることができる(そして、本件に顕出された証拠上、同庁関係では、富士山頂の利用計画は他には何も認められられない)。さすれば、右認定の事実に徴し考えるに、右叙計画が大蔵省、厚生省、文化財保護委員会等との協議を経て(富士山が国立公園並びに特別名勝である関係上、右計画の遂行には、所管の厚生省、文化財保護委員会との協議を経る必要の存することは、前掲自然公園法、文化財保護法の諸規定に徴し、明らかである)、具体的に実現の際には、該計画上必要な土地は当然公益に関する土地として、諸法規の適用、運用上その取扱いを受けるべきことになるであろうことは推究に難くないところであるけれども、翻えつて、現在、勅令第二条に則り国有存置をなすには、部分的にも、その範囲、区域、場所すら確定することができず、いわんや、超えて、かような計画の存在することをもつて、富士山八合目以上の土地(但し、既に譲与した部分を除く)を国有として存置する公益上の理由とすることは到底できないものといわなければならない。

(ロ) 気象庁の計画並びに既存施設について

被告は、富士山頂に所在する富士山測候所は、常設高山測候所として一般気象を初め、各種の地球物理的気象の観測のほか、近時は、航空上必要な気流の調査等の業務を加え、これらを遂行するために、従前の施設を維持、改善、拡充すべく、観測等に必要な施設敷地として合計二千二百九十九坪、その他送電線、電話線、避雷装置、登山安全柵の既設土地並びに諸施設保持に必要なその沿線の土地等が予定、計画せられている旨主張する。よつて、審案するに、前掲乙第四号証の一によれば、富士山八合目以上における公用財産として必要な士地につき大蔵省から照会のあつたのに対し、気象庁は、(一)富士山頂剣カ峯所在千二百五十坪(現在の使用目的、富士山測候所敷地)、(二)富士山頂西安の河原所在千坪(現在の使用目的富士山測候所研究室敷地)、(三)富士山頂東安の河原四十九坪(現在の使用目的富士山測候所)の三箇所合計二千二百九十九坪のほか、送電線、電話線、避雷装置、登山安全柵の既設土地並びに諸施設保持に要するその沿線の土地を必要として回答していることを認めることができる。しかし、そのうち(二)の土地上に存する建物即ち元陸軍軍医学校衛生学教室富士山分業室(建坪八十八坪二合)は、既に大蔵省の仲介によつて厚生省に所管換えされ、現在富士山頂地区管理休憩舎として同省所管の業務(あわせて気象庁の前叙のような用途)に使用せられていること、従つてまた、同建物の敷地(並びに、それに附随する必要な範囲の一画の土地。但し、これが業務達成並びに建物利用上必要且つ不可欠であることは、理念的には、勿論明らかであるけれども、その地積、区劃、形状等は、被告の全立証によるも、未だ明確に把握することができず、従つて、結局これを国有存置の対象とすることのでき難いことは、既に説示したところである)は、局部的には、現に明白且つ具体的な公益目的に供されている土地というべきであることいずれも前に見たとおりであるが、翻えつて、気象庁においてこれを拡張して千坪を必要とする旨回答していることについては、本件に顕われた全証拠によるも、その整備、拡充等の計画の内容を明らかに捉えることはできないばかりか、かえつて、前顕森岡証言によれば、該計画は厚生省への所管換えに伴い既に放棄せられていることを窺知し得るので、かような計画の存在していたことの故をもつて、勅令第二条の公益上の必要性が存するといい得ないことはもとより明白というべきである。また、(三)の土地については、同地上一杯に存立する建物(建坪四十九坪)は、そのうち宿舎の部分が富士山測候所職員等の避難所として利用せられているほかは、電々公社の御殿場電報局の分室として、その用に供せられていることを右森岡並びに証人垣下俊治の各証言に徴し認めることができるから、譲つて、後述(4)(電々公社の計画並びに既存施設)において併せて審案するのを適当とすべく、しばらく措く。

しかして、いずれも成立に争いのない甲第十一号証の一(昭和二十四年七月十八日立案にかかる「境内地使用許可の件」と題する書面)、同号証の二(気会発第八四九号昭和二十四年七月十二日附中央気象台長発富士山本宮浅間神社宮司あて「境内地使用願提出について」と題する書面)、同号証の三(昭和二十四年四月一日附中央気象台長発富士山本宮浅間神社宮司あて「境内地一時使用願」と題する書面)、及び同号証の四(気発第二九三号昭和十一年四月三十日附中央気象台長発官幣大社浅間神社宮司あての書面)、同第十三号証(昭和二十四年三月二十五日発行「富士山頂の気象」と題する文書の序文)、前顕森岡証言、並びに、検証の結果(第二回)を綜合すると、(一)の土地上には現在富士山測候所の建物(建坪百六坪四合八勺)が存立し、二十日間交替四班編成で常時六名の職員が駐在し、常設高山観測所として低温、低圧下における一般気象を初めとする幾多の地球物理的観象の観測、登山者向けの予報、あるいは、警報の発令、災害防除等の目的を含む無線の中継等の業務に従事していること、同建物は、昭和十年頃建築、開設されたものであるが(昭和七年富士山測候所創立以来それまでは前叙(三)の土地上に存する建物で業務していた)、その敷地四百五十坪乃至五百坪は、中央気象台長から原告神社宮司あてに「境内地一時使用願」を提出する方法によつて協議の上、期間を定めて、使用料を支払い(昭和二十四年当時において、一カ年金二百円、即ち、坪当金四十銭の割合)、原告神社の同意を得て使用を継続してきたものであること、及び、気象庁における右敷地拡充の計画は、専ら、右建物の維持、管理上従前の敷地のままでは、地形、地勢の関係上不充分であることに由来する反面、建物自体の自体の広さには不足はなく、ただその改造、完備を希望しており、気象用レーダー設置の企画も存するが、敷地使用の区域、範囲はやや多目に回答されたもので、現在なおその区劃は確定していないことを認めることができるところ、右事実に徴し考えるに、叙上の如き業務に使用せられている右建物の敷地並びに該業務達成上及び建物の維持、管理上必要な限度の一画の土地は、前叙送電線、電話線、避雷装置、登山安全柵の既設土地及び当該諸施設保持に必要な土地とにもに、元来現に具体的な公益上の必要性の存する土地として、当該部分に限り、国有存置も相当といい得べき筈である。しかしながら、ここで、進んで、右の国有存置すべき土地の範囲についてわけ入ることとし、審案するに、右建物の敷地を囲繞し、または、これに附随して、気象庁の前叙業務を遂行する上において、あるいは、建物の維持管理上必要とせられる土地の地積、区劃、形状等並びに送電線、電話線、避雷装置、登山安全柵等の所在場所及び当該諸施設保持に必要な土地の地積、区劃、形状等はいずれも、本件に顕われた全証拠資料を綜覧するも、未だこれを明確に把握し得るに至らず、被告はこの点につき必要な立証を尽さないというべきであるから、右建物の敷地(床面積)に当る百六坪四合八勺の土地を除き、その余は明白且つ具体的に公益上必要として国有存置せらるべき土地の範囲を証拠上特定して明らかならしめることができないものといわざるを得ず、即ち、別言すれば、勅令第二条によつて、国有存置することが相当な土地として、本件において明確に指摘し得るのは、結局、右建物の敷地(床面積)に当る部分に限られることとならざるを得ないのである。附言するに、本件にあつては、建物を囲繞し、あるいはこれに附随して必要な一画の土地の地積、区劃、形状等は、当該建物を使用して行なわれる業務の種類、性格、内容、特性、富士山頂の地形的条件、殊に、富士山測候所は峻険ないわゆる剣ケ峯の一部に所在すること等を深く考量して決定せらるべく、それは本来所管の各省庁の具体的な指摘とその裏付けたる証拠の提出によつて、これを審理、判断し、初めて、認めるに至るべきものであるところ、本件には、それがないのである(尤も、被告は専ら富士山八合目以上の未譲与部分全域につき、国有存置を強調し、その理由として、気象庁関係では富士山測候所の存在とその将来の拡充、完備等の計画を主張しているのであるから、かような局部的な現在必要な地積、形状等についての証拠の提出のないのは、むしろ当然というべきであるかも知れない)。また、昭和十年頃の貸借当時約定せられた敷地四百五十坪乃至五百坪は、前掲各証拠に徴し、漠然とその範囲が定められたもので、実際にはこれにとらわれず、適宜建物周辺の土地が使用せられてきたことを窺知し得、且つ、本件に顕出の全証拠によるも、その区劃、形状等すら明確に捉えることはできないから、これのみをもつて直ちに判断の基準として結論を導くことのできないことは、前叙(1)の(ロ)富士山頂地区管理休憩舎の場合と異ならない訳合のものである(なお、前叙した如き測候所の施設の将来の拡充完備等の計画の存在の故もつて、直ちに、同計画上必要とせられる地積を公益上必要な土地と見ることのできないことは、被告の全立証によるも、未だその具体性、緊急性を窺い得ないことに徴し、分明というべき筋合である)。

また、前掲乙第四号証の一によれば、気象庁は、富士山測候所の前叙業務を充全に遂行するために、臨時観測を必要とする場合はその期間中随時随所において無償にて使用し得る態勢にあることを要する旨回答していることを認めることができ、その業務達成上それが必要であることは業務の性質、目的等に徴し、まことに見易き道理であるけれども、他方、前顕森岡証言によれば、、国有として特に区劃して存置されたいわゆる大内院(旧噴火口)の底地百坪を含め、かような目的上必要な土地は、その範囲に限定を与えることが、そもそも不可能、且つ、無意味である反面、元来、私有地であつても、気象観測等のため必要あるときは、その都度所有者の協力を得て利用する事例も全国各地に数多く存し、富士山頂についても、従前原告神社の許容によつて何等支障なく随時随所で観測等を続けてきたが、将来もかかる状態が永久に維持せられることが望ましく、そのためには、この際同山頂が国有として存置せられるのが最も便宜な望ましい状態への捷径と考えられるところから、叙上の如き回答となつたものであることを窺知し得るところ、かようないわば学術、調査研究上の必要性は独り富士山頂にのみ特に限られる訳合のものではないから、国有地たることが最も便宜な望ましい状態であることは勿論否めない理合であるにしても、超えて、勅令第二条の関係で、その解釈、適用上、これをもつて殊更に同土地を国有として存置し、国家がこれを管理すべき明白且つ具体的な公益上の必要性が存する場合に当るということのできないことは、明らかである。

(3) 文部省関係(文化財保護委員会の計画について)

被告は、富士山は昭和二十七年十月七日名勝に、次いで、同年十一月二十二日特別名勝に各指定されているが、文部省の外局たる文化財保護委員会は、その指定の上に立つて、観賞上、学術上、伝統上の価値を有する同山の文化財としての保護の観点から、これを統一的に維持、管理する方針を樹立している旨主張する。しかして、いずれも成立に争いのない乙第五号証の一(文委記第四六号昭和二十八年二月五日附文化財保護委員会事務局長発大蔵省管財局長あて「特別名勝富士山の指定について」と題する書面)同号証の二(文委会第一一〇号昭和三十二年二月十一日文化財保護委員会事務局長発大蔵省管財局長あて「特別名勝富士山の所管換について」と題する書面)、及び同号証の三(文委会第一一〇号昭和三十二年四月二十五日附文化財保護委員会事務局長発大蔵省管財局長あて「特別名勝富士山の所管換について〔依頼〕」と題する書面)、同第九号証(「富士周辺天然記念物、名勝関係図」と題する図面、並びに、前顕細川証言を合わせると、文化財保護委員会は被告主張の各日時に、富士山の(一)いわゆるお中道(下方五百米を含む)によつて囲まれた地域全部及び富士宮口、御殿場口登山道の狭む標高千五百米以上の地域、(二)お中道に至るまでのいわゆる吉田口、船津口各登山道(両側各百米の地域を含む)、及びいわゆる梨ケ原県道(両側百米の地域を含む)、(三)お中道に至るまでの富士宮口、須走口各登山道(両側各二百米の地域を含み、(一)と重復する部分を除く)等の地域を名勝、次いで、特別名勝にそれぞれ指定し、前掲文化財保護法第八十七条第一項に則り、大蔵省に対し、これが所管換えの要望を、あわせて、その前提として、被告主張の如き方針を充全に遂行するためには、係争にかかる富士山八合目以上の土地は国有として存置するのが適当である旨の意見を添えて提出していること、並びに、右所管換についての大蔵省を含む関係各省でなさるべき協議(同条同項但書参照)は、本件訴訟の係属中であることを考慮して、現在、一応差控えられたままになつていることを認めることができる。しかしながら、私有に属するいわゆる「記念物」(名勝はこれに含まれる。同法第二条第一項第四号参照)等の文化財は、国有のそれが同法第九十一条第一項第三号によつて、貸付、交換、売払、譲与その他の処分に当つては文化財保護委員会の同意を必要とするのに比し、売買、贈与、貸借等の処分が原則として自由であることや、その他諸般の事情に鉱み、文化財保護の立場を貫き、その使命を最も良く顕現するためには、文化財保護行政上記念物が国有に属することが便宜且つ望ましい状態であることは、たやすく看取し得る道理であるけれども(尤も、法律第五十三号が相手方とする社寺宗教法人の場合にあつては、同法によつて譲与または時価の半額売払を受けた境内地の如き主要な財産の処分等には、公告の義務が課せられる等宗教法人法第一条に宣明する目的の観点から、ある程度の制約が加えられていること等の事情は、別論ではあるが、参酌されなければならないであろう。宗教法人法等二十三条、第八十八条第三号等参照)、元来、文化財保護法は、その建前として、一般私有に属している土地等についても、当然これを私有のまま記念物等に指定するとともに、その反面、これが現状を変更し、またはその保存に影響を及ぼす行為は全て文化財保護委員会の許可にかからしめ、また、同委員会に原状回復の命令、指示の権限を与える等利用面等に各種の規約を加え、もつて、文化財を保存し、且つ、その活用を図る態度を採つていることは、同法第八十条等の諸規定に徴し、分明であるから、富士山八合目以上の土地が特別名勝に指定の地域に含まれ、その統一的な維持、管理の方針が樹立せられているということの故をもつて、同土地を国有して存置すべき勅令第二条に定める公益理由があるということのできないことは、多言を要せずして明らかである(なお、前掲乙第七号証十頁、7、(三)〔前掲甲第二号証二百二十頁にも転載〕、及び、右甲第二号証百二十八頁〔但し、昭和二十二年十月十四日発宗第五八号文部大臣官房会計課長発各知事あて「史跡名勝天然記念物に指定されている社寺国有境内地等の引継について」と題する通牒の転載部分〕によれば、法律第五十三号施行当時、その運用につき、あるいは大蔵省国有財産局長から各財務局長あて「社寺等の境内が史蹟、名勝、天然記念物として指定されているときでも、その指定物件及び指定の理由が当該社寺の宗教活動に関係のないときは第七号該当地として取扱はないこと」との旨の、また、あるいは文部大臣官房会計課長から各県知事あて「現に国有財産法で社寺等に貸し付けてある国有財産中、史跡名勝天然記念物保存法で指定され……ているものについては、……昭和十四年法律第七十八号〔昭和二十二年法律第五十三号改正〕で、当該社寺等の宗教活動に必要なものとして譲与又は売払の処分がなされる見込の場合は、当該財産を所轄財務局長に引き継がれたい」との旨の、即ち、別言すれば、いずれも一般的にいつて名勝等記念物としての指定を経ていることが、勅令第二条に規定する国有存置の理由とならないことを前提として肯認した趣意の通牒が各発せられていることを認めることができるところ、該各通牒の存在によつて窺知し得られる当時大蔵省、文部省等関係各省の採つていた右趣旨の見解は、結局、当裁判所の右説示と同一の理趣に由来したものと考えられる。

(4) 日本電信電話公社関係(同公社の計画並びに既存施設について)

被告は、日本電信電話公社から、大蔵省に対し、富士山の夏期登山者を対象とする超短況電話局を開設し、御殿場局を通じて山頂と山麓とを結ぶ通信施設の建設敷地として、約千坪の土地につき、継続使用の申請が提出されている旨主張する。よつて案ずるに、いずれも成立に争いのない乙第六号証(電財第五四号昭和二十八年二月附日本電信電話公社総裁発大蔵大臣あて「無線中継所敷地継続使用願書」と題する書面)、同第十四号証の一(東海電気通信局運用部電信課作成にかかる「富士山頂電線配置図」と題する図面)、及び同号証の二(東海電気通信局作成にかかる「富士山頂分室平面図」と題する図面)甲第十五号証の一(昭和二十一年八月三十一日立案にかかる「境内地使用願許可に関する件」と題する書面)同号証の二(営管第一〇五五号昭和二十一年八月一日附名古屋逓信局長発浅間神社宮司あて「使用願」と題する書面)同号証の三(昭和二十一年八月一日附名古屋逓信局長発浅間神社宮司あて「境内使用願」と題する書面)、及び同号証の四(「借入契約書」と題する書面)、前顕垣下俊治、同森岡嘉昼の各証言、並びに、検証の結果(第二回)を綜合すると、昭和十九年頃軍当局の要請によつて、東京、八丈島間の通信連絡をとるため、軍民協力の下に富士山無線中継所の名称で富士山頂のいわゆる東安の河原に四基の無線空中線用施設(アンテナ)を持つ無線通信基地が設けられ、その用地千坪(同地上には元富士山測候所の建物が存立、即ち、前叙(2)の(ロ)で説示した(三)の土地を含む地域)は、名古屋逓信局において、同局長から原告神社に対し「境内使用願」を提出し、「借入契約書」を取交わす等の方法によつて、期間を定めて、有償で借受け、使用を継続してきたが、昭和二十三年に至り、該中継所は一応閉鎖され、その後は、昭和二十五年以降日本電信電話公社東海電気通信局において、同地上に既存の建物(前叙元富士山測候所。建坪四十九坪)のうち、約二十七坪の局舎を使用して、T乙六三型超短波無線通信機、二十型単式交換機等を設備し、運用要員二乃至三名、施設要員一名を約一ケ月交替で常駐せしめ、原則として、毎年七月十日から八月二十日までの間御殿場電報電話局富士山頂分室として開設し、電報、電話通話の受付、窓口交付の例による電報配達事務、電話交換等の業務を行い、一方、同建物のうち、宿舎の部分は、富士山測候所職員の避難所及び右分室職員の交替時における宿泊所としての利用に供せられているが、前記四基の無線空中線用施設(アンテナ)は、現在はいずれも必ずしも使用せられてはいないこと、並びに、日本電信電話公社としては、山頂部は斜面多く、利用し得る平地の比較的少ないところから、局舎用敷地、空中線用敷地として従来原告神社から借り受けていた坪数、即ち、約千坪の土地が必要であるとの理由で、大蔵省に対し該土地の継続使用を申請したが、超えて、現存施設の拡充、強化等についての計画は、未だ、充分具体化するに至つていないことを認めることができるところ、該認定の事実に徴し考えるに、右の如き業務、利用に供せられている右建物の敷地(及びこれに附随して業務達成上必要な範囲の一画の土地は、元来、部分的に見て、国有存置を必要とする公益理由の存在する土地というべきであろうことは分明であるけれども、翻えつて、進んでかような目的に供されている土地の山頂に一部存することの故をもつて(また、他の事由と綜合しても)、直ちに、富士山八合目以上の土地全域に、明白且つ具体的な公益上の必要性をもたらし、押しひろげて、同土地を全て国有存置すべきことを肯認せしむべき根拠とすることのできないことは、明らかであつて、それは、次に、以上逐次見た各省庁関係につき、これを綜合して、一括説示するとおりである。しかして、右に指摘した局部的に明白且つ具体的な公益上の必要性が現存すると認むべき土地の範囲、即ち、地積、区劃、形状等については、右叙建物の敷地(床面積)に当る部分四十九坪を除いては、本件に顕われた全証拠資料を綜覧するも、これを明確に把握することができず、被告はこの点の必要な立証を尽さないから、その余の部分(業務達成上必要な一画の土地)に関しては、当裁判所でこれを特定、参酌することのできないことは、先に説示した(1)の(ロ)富士山頂地区管理休憩舎、(2)の(ロ)富士山測候所の場合と何等異ならない訳合である(なお、昭和十九年頃の貸借当初に、用地として千坪が約定せられたことは、前認定のとおりであるが、反面、現在では当時とは全く建物の利用目的、形態を異にし、同地上に存立する前叙四基の無線空中線用施設(アンテナ)も、今ではいずれも必ずしも使用せられてはいないことも前段認定の事実に徴し分明であるから、これのみをもつて直ちに判断の基準とすることはできない。また、右土地の区劃、形状を特定して明らかに捉えるに足る証拠も全くないのである)。

ところで、被告は、係争にかかる富士山八合目以上の土地については、叙上における詳細な考察の対象とした如く、昭和二十六年以降厚生省、運輸省(海上保安庁、気象庁)。文部省(文化財保護委員会)、日本電信電話公社等より、それぞれ立案中の予定、企画、乃至は具体的な計画に基き大蔵大臣にあて国有存置の意見の提出、所管換の協議、あるいは使用申請等がなされているのであるから、かかる文化、観光その他の観点から見ても、同土地を全体として(但し、既に譲与した部分は除く)国有存置すべき公益上の必要性が存する旨主張しているのである。該主張は、一面において、右のような各省庁等各個の予定、企画乃至は具体的な計画の存在が、それぞれ、勅令第二条に定める公益上国有存置の理由に適合するとの趣旨に論拠するほか(同論点については、上に分説して審究したところによつて、いわば局部的に、前叙各現存建物の敷地に関するものを除くのほか、被告の指摘、主張にたやすく与みすることのできないことが、既に明らかにせられた)、さらに、現在、かかる各種の計画等立案の対象とせられている係争土地は、元来、文化、観光その他の関係できわめて重要且つ特殊的な地位を占めるものであるから、これ等各般の事情を綜合勘案して、同土地は公益上国有存置が許さるべきものであるとの見地にも立つて、その主張を根拠づけようとしているようにも見えなくもないので、進んで、該論点を含むものと理解して、その当否につき審案することとする。しかしながら、右各省庁の予定、企画、乃至は具体的な計画と認められるものは、いずれも、結局、富士山八合目以上の土地を国有として存置し、あるいはその所管換を受けて各々その行政財産として管理、運営することが、それぞれの業務遂行上便宜もしくは望ましい状態を顕現する捷径であることに起因、由来するものであること既に説示したとおりであるから、かかる計画等が各種競合重復して存在することの故をもつて、右係争土地につき、勅令第二条の規定する公益上の特別の必要性、即ち、別言すれば、国家においてこれを自ら管理すべき明白且つ具体的な必要性が存するということのできないことは、多言を費すまでもなく明らかというべき筋合であろう。しかして、同土地上には、前に見たように、(一)厚生省所管の富士山頂地区管理休憩舎建坪八十八坪二合、(二)運輸省(気象庁)所管の富士山測候所建坪百六坪四合八勺、(三)日本電信電話公社所管の御殿場電報電話局富士山頂分室建坪四十九坪(そのうち、局舎約二十七坪)の各建物が点在し、その敷地(床面積)に当る部分の土地は、それぞれ、現に明白且つ具体的な公益目的に供されていることが証拠上明らかな土地として、部分的には、国有存置を相当とする関係にあると認められるところ(なお、検証の結果(第二回)によれば、同山頂部には、ほかに公共用施設として、郵政省所管の山頂郵便局が存することを認めることができるけれども、証人楠田英香の証言に徴し、同郵便局は夏期四十日間位仮設する臨時局として原告神社奥宮の社務所の一部に開設せられるもので、いわば、その敷地に当るべき土地は勅令第一条第一項第一号該当地として既に譲与せられていることが明認、看取せられる)、進んで、かように富士山八合目以上の未譲与の土地百十七万六千七十六坪九合五勺(その坪数については次の第六参照)のうち、地積的に見て、きわめて小部分を占める右叙各土地が一部散在していることをとらえて、これが係争土地全域に公益上国有存置すべき必要をもたらし、同土地につき、勅令第二条に定める明白且つ具体的な公益理由が存在すると主張することの理由づけとは、にわかになし難いことは明らかというべく、前叙各省庁の予定、企画、具体的な計画として審案したところを加えて考えて見ても、未だ当裁判所の到達した右結論を動かすには足らず、なお依拠薄弱であること上来詳細に説示してきたところによつて既に分明である。結局、以上を約言するに、被告が富士山八合目以上の未譲与の土地百十七万六千七十六坪九合五勺(坪数については、次の第六参照)につき、国有存置の理由として縷々主張するところは、局部的に、前叙(一)ないし(三)の建物の敷地(床面積)に当る土地に関する部分を除き、いずれも勅令第二条にいう「公益上……(略)……国において特に必要があると認める」ことのできる国有存置事由には適合しないことが明らかであつて、所詮排斥を免れず、さすれば、右未譲与の土地が前叙説示の如く法律第一条に規定する譲与の要件を各具備する限り、その全域についてこれが譲与を拒否すべき正当な根拠は何もないのである。

第六、明治三十二年七月二十八日附原告神社奥宮境内地に編入の土地(目録第一記載の土地)の坪数

目録第一記載の土地、即ち、前叙明治三十二年七月二十八日附をもつて原告神社の奥宮境内地に編入せられた土地の坪数、従つてまた、ひいては、富士山八合目以上の全地域の坪数の把握につき、当事者間に争いが見られるので、ここで、当裁判所の右に関する判断を示しておく。成立に争いのない甲第十六号証(「昭和二十三年三月十七日農林省沼津営林署の本簿より写」旨の記載ある「富士山御料地孕在官有地境界簿写」と題する書面)、前顕楠田証言によつて真正に成立したものと認められる同第十七号証(昭和二十五年六月二十二日岩辺工務所作成にかかる「富士山本宮浅間神社奥宮実測図」と題する図面)、及び、右楠田証言を合せれば、右叙目録第一記載の土地の坪数は、正確には、百十九万七千七百五十六坪九合五勺として求積せられ得ることを認めることができ、さすれば、富士山八合目以上の全地域の坪数は、百二十二万六千二十八坪九合五勺、そのうち、本件譲与処分によつて譲与しないことが決定された土地の坪数は、百十七万六千七十六坪九合五勺であることは、右認定の事実並びにいずれも当事者間に争いのない目録第二記載の土地(昭和七年九月二十九日附奥宮境内に編入の土地)及び右譲与処分によつて既に譲与せられた部分の土地の各坪数を基礎として、計数上明らかである。尤も、成立に争いのない甲第五号証(原告神社作成にかかる「富士山本宮浅間神社由緒、富士山信仰の概要」と題する書籍)、同第九号証(「旧第三十五号富士山八合目以上に関する取調書、奥宮要書類綴」と題する書面)中には、前認定に反して被告主張に添うかの如き記載も存するけれども、該記載部分は、右認定に供した前掲各証拠と対比したてやすく措信し難く、他に当裁判所の心証を惹いて、右認定を動かすに足る証拠は、何も存在しない。

第七、結論

以上の理由によつて、富士山八合目以上の土地百二十二万六千二十八坪九合五勺のうち、被告東海財務局長の昭和二十七年十二月八日附東海財管一第一六二七号による行政処分をもつて原告神社に譲与しなない旨決定せられた百十七万六千七十七坪九合五勺の土地は、その全域が法律第一条第一項(並びに勅令第一条)に規定する各要件をいずれも具備し、且つ、そのうち富士山頂西安河原所在厚生省富士山頂地区管理休憩舎の敷地(床面積)八十八坪二合、同剣ケ峯所在気象庁富士山測候所の敷地(床面積)百六坪四合八勺及び同東安の河原所在日本電信電話公社東海電気通信局御殿場電報電話局富士山頂分室の敷地(床面積)四十九坪を除くその余の土地百十七万五千八百三十三坪二合七勺については、勅令第二条に定める国有存存置すべき公益上の必要性が存しないことが明らかであるから、前叙行政処分の一部原告神社に譲与しないとする部分中、右各建物の敷地(床面積)に当る土地合計二百四十三坪六合八勺に関する部分は正当であるが、これを除くその余の土地に関する部分は違法の瑕疵あるものというべく、取消を免れないこといずれも既に分明である。

さすれば、その余の争点についてさらにわけ入り、案ずるまでもなく、右行政処分中百十七万六千七十六坪九合五勺の土地を原告神社に譲与しないと決定した部分の取消を求める原告の本訴請求は、右に示した範囲で理由があるから、その限度内でこれを認容すべく、その余は失当として棄却すべきものである。よつて、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第九十二条但書を適用して、主文のとおり判決する。

名古屋地方裁判所民事第五部

裁判長裁判官 木 村 直 行

裁判官 松 田 冨士也

裁判官 篠 原 曜 彦

物件目録第一

静岡県富士山頂無番地所在

一、百十九万七千七百五十六坪九合五勺

物件目録第二

静岡県駿東郡印野村字富士山南山二千八百七十八番地三所在

一、二万八千二百七十二坪

物件目録第三

静岡県富士山頂無番地所在

一、奥宮社殿敷地 五百坪

一、久須志神社敷地 二百坪

一、金明水 十六坪

一、銀明水 十六坪

一、大内院 四万七千三百坪

一、銅馬社 十坪

一、剣ケ峯 百坪

一、三島岳 百坪

一、駒ケ岳 百坪

一、朝日岳 百坪

一、成就岳 百坪

一、久須志岳 百坪

一、白山岳 百坪

一、浅間岳 百坪

一、このしろ池 千坪

一、天拝所 十坪

一、八合五勺参籠所 百坪

物件目録第四

静岡県富士山頂無番地所在

一、厚生省富士山頂地区管理休憩舎敷地(床面積) 八十八坪二合

一、気象庁富士山測候所敷地(床面積) 百六坪四合八勺

一、日本電信電話公社東海電気通信局御殿場電報電話局富士山頂分室敷地(床面積) 四十九坪

<図面省略>

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